スコット・ロス

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スコット・ロス
Scott Ross
基本情報
出生 1951年3月1日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ピッツバーグ
死没 1989年6月13日
学歴 ニース音楽院パリ国立高等音楽・舞踊学校
ジャンル クラシック音楽
職業 チェンバロ奏者オルガニスト
担当楽器 チェンバロオルガン
レーベル STILERATOEMI

スコット・ロスScott Stonebreaker Ross1951年3月1日 - 1989年6月13日)は、チェンバロオルガン奏者。アメリカピッツバーグ生まれでフランスおよびカナダを中心に活躍した。数々の優れた録音を残したが、38歳の若さでエイズのために夭折した。弟子に曽根麻矢子ニコラウ・デ・フィゲイレドがいる。

演奏スタイル[編集]

冴え渡る高度な技巧を有していながら、奇をてらった表現はほとんどなく、端正な演奏を良しとしていた。一方で、チェンバロ演奏にしばしば見られるような学問的興味に傾いた演奏様式とも一線を画しており、生き生きとしたリズムや和声によって音楽の本質に迫ろうとする特徴がある。ロス自身の言によれば[1]、本人がパルジオン(フランス語でパルスの意)と呼ぶ、瞬間的な音楽の霊感を追求していたという。

録音業績[編集]

ロスの録音業績の中でも目立つのは、ドメニコ・スカルラッティの生誕300周年を記念して企画された、555曲からなる鍵盤楽器のためのソナタ全集の世界初録音、をCD34枚組で達成したことである。(2013年時点での個人全集は、ピエテル=ヤン・ベルダーブリリアントクラシックスに、スカルラッティ没後250年を祝して36枚で完成させたものと、リチャード・レスターニンバス・レコードに38枚で完成させたものも入手可能ではある。ピアノで個人全集を達成した者はいまだ現れていない。)スカルラッティの全集に挑んでリタイヤした者も少なくなかった当時、完結させたばかりではなく、個々の完成度の奇跡的な高さを含め偉業と称えられた。一日に2-3曲のペースで録音したといい、多くの曲は初めて弾くものであったため狂人のように勉強しなければならなかったというが、その演奏の完成度はきわめて高い。他にもラモーF.クープランのクラブサン作品全集、F.クープランのオルガン作品全集を完成させている。バッハの全集も構想した時期があるが、病気の進行には勝てず遂に実現しなかった。

以下は主な録音のリストである。

(STILレーベル) 1973年ブルッヘにて録音
スコット・ロスの初録音。ケネス・ギルバートのチェンバロを借りて演奏されている。
  • ラモー、『クラヴサン作品全集』
(STILレーベル) 1975年アサス城にて録音
(STILレーベル) 1977-8年アサス城にて録音
「クラブサン曲集」全4巻と「クラブサン奏法論」の作品が網羅されている。しかし、なぜか後者に含まれる前奏曲第5番だけはこの全集から漏れており、その理由は不明である。
(Disques PELLEASレーベル) 1980年モントリオールにて録音
(ERATOレーベル)1983年パリにて録音
(ERATOレーベル)1984-5年録音
(ERATOレーベル) 1985年オタワ大学にてライブ録音
(ERATOレーベル)1987年パリにて録音
  • バッハ 『クラヴィーア練習曲集 第1巻 6つのパルティータ BWV825‐830 』
(ERATOレーベル) 1988年フランス・ガールにて録音
  • バッハ 作品集 『イタリア協奏曲 BWV971、半音階的前奏曲とフーガ BWV903、フランス風序曲 BWV831、4つのデュエット BWV802-805』
(ERATOレーベル) 1988年アサス城およびパリにて録音
(ERATOレーベル) 1988年パリにて録音
(EMIレーベル) 1988年パリにて録音
(EMIレーベル) 1989年パリにて録音

古楽演奏以外への興味[編集]

鉱物の採集を好み、火山を訪ね歩くことを愛した。好きであるが、百合の掛け合わせによって珍しい品種を作ることも好んだ。コンピュータにも関心があったという。ケベック時代にはアパートを改造して写真現像用の暗室を作っていた[2]。また、録音等は残っていないが、個人的にドビュッシーラヴェルショパンピアノで弾くことを楽しんでいた[1]ブライアン・イーノや、フィリップ・グラスニーナ・ハーゲン等の音楽を好んだ。田舎に家を買って農夫として暮らすのが長年の夢で、ケベック時代には実現しなかったが、フランスに帰ってからは実際に家を買ってほぼ実現させた。

古城[編集]

ロスは少年期のニース音楽院時代(1969年)に、フランス南部モンペリエ近郊のアサス(fr:Assas_(Hérault)en:Assas)にある古城(シャトー・ダサス)に行き、そこで歴史的チェンバロに触れたことがきっかけでオリジナル楽器への理解を深めたという[2]。以来、この城は彼にとって特別な場所となり、終生に渡って何度も訪れ、一室を借りて住んでいたこともある。また、ロスの主要な録音業績の一部は、この城で、その楽器を用いて録音されている。

略歴[編集]

  • 1951年、ピッツバーグに生まれる。定期刊行紙の出版者であり記者であった父親は、ロスが5歳のときに他界。2歳の時にみつかった脊柱側湾症の矯正治療のため、幼い頃はコルセットの着用を強いられた[2]。6歳でピアノを習い始める。12歳のときにオルガンを習い始める。
  • 1964年に渡仏し、母親や兄と離れてニース音楽院に学ぶ。オルガンはルネ・サオルジャン、チェンバロはユゲット・グレミー=ショーリアックに師事した。グレミー=ショーリアックは時にロスの母親代わりを務め、音楽的にも大きな影響を与えたと言う。
  • 1970年母親を自殺によって失う。
  • 1971年に2度目の挑戦でブルッヘ国際チェンバロコンクールに優勝する。このとき長髪にジーンズの異例の風体で会場に登場し、暗譜で弾いたこともチェンバロ演奏における慣例に反していたことから聴衆をたいへん驚かせた。彼がバッハの平均律第2巻の嬰ヘ長調の前奏曲フーガを弾いたのを聴き、審査員の一人は「まるで自分で作曲したかのようだ」と感想を漏らしたという[2]。同じ年に、バッハの作品で初録音を行っている。
  • 1985年には、ドメニコ・スカルラッティソナタ全集の世界初録音(CDで34枚におよぶ)を達成。1984年6月16日に録音を開始し、1985年9月10日に終了した。この頃に自らがエイズに罹患したことを知る。
  • 1989年、38歳の若さで、エイズ関連疾患のため、フランス南部モンペリエ近郊アサスにて他界した。

参考資料[編集]

  1. ^ a b スカルラッティ全集のブックレット
  2. ^ a b c d 「未完の運命 - スコット・ロス伝」ミシェル・E・プルー著 (Scott Ross 礼讃 にて日本語訳)

外部リンク[編集]