スキップ・ウィリアムズ

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ラルフ・ウィリムズRalph Williams)、ほとんどの場合スキップ・ウィリアムズSkipWilliams)と呼ばれるは、アメリカ合衆国ゲームデザイナーである。彼はPenny Williamsと結婚し、彼女もまたゲーム業界に関与している。彼はダンジョンズ&ドラゴンズ第3版の共同制作者として、そしてDragon Magazineのコラム"Sage Advice"の長期作家として良く知られている。

キャリア[編集]

ウィスコンシン州レイクジェネヴァに生まれ、人々の多くがオリジナルの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』ゲームの開発と影響にかかわる中で、ウィリアムズもゲームに非公式に精通して、ゲイリー・ガイギャックスの息子Ernieとともに学校に通い、ゲイリーが『AD&D』のいくつかのルールのプレイテストに使っていたゲームング・グループに参加している[1]。1976年、ウィリアムズはTSRのダンジョン・ホビーショップでパートタイム店員として働きはじめた[2]。ウィリアムズのTSRでの最初の仕事は管理者能力、キャッシャーとしての仕事、積み出し、そして様々なオフィスの作業だった[要出典]。ウィリアムズは1980年から1983年までen:Gen Conゲームフェアのディレクターを務めた[2]。ウィリアムズは後に一時解雇されたが、フリーランスの役割でTSRの為に働き続け、雑用を実行する;1987年にはDragonの誌面に"Sage Advice"を書くようになり、ウィリアムズはDragonの編集者en:Roger E. Mooreを単に定期的にコラムを書いても構わないと思って誰にも見つけることができなかったとしてリコールした。[1]ウィリアムズは2004年まで編集者の地位にあった[要出典]。1989年、ウィリアムズはTSRのロールプレイングゲームデザイナーになる前に、数年間en:RPGAのスタッフに加入した[2]。1990年から1992年にかけ、彼はまた Polyhedron誌の副編集長でもあった[要出典]

TSRがウィザーズ・オブ・ザ・コーストに買収された後、彼はウィスコンシン州からワシントン州に移動した[要出典]。ウィリアムズはシニアデザイナーに昇進し、D&D第3版のデザインチームとして働いた。モンテ・クックジョナサン・トゥイート、そしてスキップ・ウィリアムズは、第3版のen:Players Handbooken:Dungeon Master's Guide、そしてen:Monster Manual全てに貢献し、そしてその貢献を元にしてそれぞれのデザイナーが本を書いた[3]。ウィリアムズはまた、新しい版のフォーゴトン・レルムキャンペーン・セッティングでも働いた[2]。だが、彼は2002年にウィザーズ・オブ・ザ・コーストを離れて生まれ故郷のウィスコンシンに戻り、彼は2005年までフリーランスで、D&Dとd20素材をプロデュースし続けた。この時の彼の出版物には"Cry Havoc!"(モンテ・クックのMalhavoc Pressから出版)と自然の種族(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)が含まれる。彼はen:Kobold Quarterlyの"Ask The Kobold"の作家として活動している。

脚注[編集]

  1. ^ a b http://www.malhavocpress.com/cgi-bin/page.cgi?int_dnd30_Skip
  2. ^ a b c d Ryan, Michael G. (October 2000). “ProFiles: Skip Williams”. Dragon (en:Renton, Washington: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト) (#276): 12, 14, 16. 
  3. ^ “Profiles: Monte Cook”. Dragon (en:Renton, Washington: ウィザーズ・オブ・ザ・コースト) (#275): 10, 12, 14. (September 2000). 

外部リンク[編集]

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