スイス・ロマンド管弦楽団

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スイス・ロマンド管弦楽団(すいすろまんどかんげんがくだん - 仏:Orchestre de la Suisse Romande、略称OSR)は、1918年指揮者エルネスト・アンセルメによって創設された、ジュネーヴを本拠とするスイスオーケストラである。「スイス・ロマンド」とは、「フランス語ロマンス語)圏のスイス」の意である。

1930年代に財政的な問題もあり一時活動休止に追い込まれたこともあった。1938年にローザンヌにあったスイス・ロマンド放送のオーケストラを合併して、放送局から財政的なバックアップを受けるようになって、安定した活動が可能になった。ラジオ放送のための演奏が増えると同時に、デッカと契約し、数多くの録音が行われるようになったのもこの頃のことである。

演奏会は、多くのカテゴリーに分けて行われていて、シンフォニー・シリーズ、レパートリー・シリーズ、ローザンヌ・シリーズ(ローザンヌ公演)、グランド・クラシック・シリーズなど、ジュネーヴ、そしてローザンヌにおいて年間50回程度の公演を行っている。同時にスイス・ロマンド管弦楽団は、ジュネーヴ大劇場歌劇バレエの公演でのオーケストラ・ピットにも入っており、両方の活動を支える団員数は、117名(弦 : vn18-vn16-va13-vc10-cb9、木管 : fl7-ob7-cl8-fg7-hr7、金管 : trp3-trb5-tuba1、打楽器 : timp2-perc3、ハーブ : 1)という大所帯となっている(2009-2010年シーズン)。

創設から関わった指揮者エルネスト・アンセルメが約半世紀にわたって率いて、その膨大なレパートリーのほとんどを録音して残したため、アンセルメの楽器としてのスイス・ロマンド管弦楽団のイメージが定着した。彼らの英デッカへの録音の多くはヴィクトリア・ホールで行われたが、それは驚くほど微妙なバランスを聞き分けるアンセルメの耳によって達成された。初期のコンサート・マスタールイ・ステール。しかし、アンセルメと意見が合わずオーケストラを辞めてカフェでヴァイオリンを弾いて生活し、後に画家へ転身した。1944年にスイスへ亡命したミシェル・シュヴァルベは1946年までコンサート・マスターを務め、1957年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターに就任するまで、密接な関係を保ち、ベルリン・フィルへ転身後も度々客演をしている。

1967年にアンセルメは49年にわたって率いたオーケストラから勇退し、後継者にポーランド出身でスイス国籍を取得したパウル・クレツキを指名した。1968年にオーケストラは初来日(アンセルメ単身では1964年にNHK交響楽団に招聘されて来日している)した時は、パウル・クレツキとともにアンセルメも同行し、七回の公演を指揮している。ただ前評判が大変に高かったが、批評などは芳しくなかった。

アンセルメ時代に、ローザンヌの隣町のヴヴェイに住んでいたカール・シューリヒト、近くのクラランに住んでいたヴィルヘルム・フルトヴェングラーなども客演していた他、ハンス・クナッパーツブッシュなどが客演をくり返しており、いくつかの録音がCD化されている。パウル・クレツキは三年でオーケストラを去り、後をウォルフガング・サヴァリッシュが引き継いだ。彼はコンサート・マスターにヴィンタートゥーアの音楽院でヴァイオリンを教えていたペーター・リバールを招聘し、オーケストラのアンサンブルの立て直しを行った。ドイツ系の奏法をリバールがオーケストラに定着させて行ったが、アンセルメ時代の再来を期待する世間からは、高く評価されることはなかった。

続いてホルスト・シュタインが5年間率いた後、1985年に待望のスイス人指揮者アルミン・ジョルダンが音楽監督に就任した。ルツェルン(スイス・ドイツ語圏)に生まれた彼は、ドイツ語とフランス語の言語国境にあるスイスのフリブール(独語ではフライブルク)の音楽院で学び、ローザンヌやパリなどで活躍していた。彼はスイス・ロマンド管弦楽団の新しいシェフとしてアンセルメ時代のレパートリーを復活させるとともに、マーラーやドイツ系のレパートリーを定着させていった。彼の片腕となったコンサート・マスターは、ジュリアード音楽院イヴァン・ガラミアンのもとで学んだロバート・ツィマンスキーである(現在チューリッヒ音楽院の教授でチューリッヒ交響楽団のコンサート・マスター)。

ジョルダンは12年にわたってオーケストラを率い、仏エラート・レーベルなどに多くの録音を残したと同時に、この頃からエリアフ・インバルネーメ・ヤルヴィなどが客演し、いくつかのレーベルにライブ録音でない正規録音を残している。

ジョルダンが勇退した後、ファビオ・ルイジが就任したが、オーケストラへの州の補助金がカットされるなど、運営が厳しくなった時代をルイジは見事に乗り切った。彼はこの時代にいくつかの録音を残しているが、中でもアルテュール・オネゲルの交響曲全集は高く評価されている。

続いてピンカス・スタインバーグがシェフに就任するも、三年で退任。

困難な時期に期待を背負って就任したのがマレク・ヤノフスキであった。彼はオーケストラのアンサンブルをアルミン・ジョルダン時代のように輝きに満ちたものに立て直し、ブルックナーなどのレパートリーを定着させ、活発な録音も再開した。現在のコンサート・マスターはセルゲイ・オストロフスキーとBogdan Zvoristeanuの二人である。なお、ヤノフスキもポーランド系ドイツ人であり、アンセルメ以降はフランス系の首席指揮者が一人も就いていない。

首席指揮者[編集]

外部リンク[編集]