ジーン・セバーグ
| ジーン・セバーグ Jean Seberg |
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| 本名 | Jean Dorothy Seberg |
|---|---|
| 生年月日 | 1938年11月13日 |
| 没年月日 | 1979年9月8日(満40歳没) |
| 出生地 | マーシャルタウン |
| 国籍 | |
| 配偶者 | François Moreuil (1958-60) ロマン・ガリー (1962-70) Dennis Berry (1972-) |
ジーン・セバーグ(Jean Seberg,1938年11月13日 - 1979年9月8日)はアメリカ合衆国アイオワ州出身の女優である。「セバーグ」と表記されることが多く、日本ではそれが定着しているが実際の発音は「シバーグ」または「スィバーグ」である。
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来歴 [編集]
アイオワ州マーシャルタウンにて、スウェーデンからの移民薬剤師[1][2]の父と、代理教員をしていた母との家庭に生まれる。
映画監督のオットー・プレミンジャーに見出され、17歳のときに『聖女ジャンヌ・ダーク』でデビュー。1957年の『悲しみよこんにちは』に出演。彼女のベリーショートは「セシルカット」として流行した。1959年にはジャン・リュック・ゴダールの初監督作品「勝手にしやがれ」に主演。ヌーヴェルヴァーグの寵児となる。その後、アメリカやフランスで30本以上の映画に出演したが、ヒット作には恵まれなかった。
プライベートでは公民権運動や反戦運動に傾倒し、全国有色人向上協会やブラック・パンサーをサポート[3]したためFBIからマークされてしまう。特に1970年、彼女の妊娠中に、お腹の子は彼女の夫との子供ではなく、ブラック・パンサーの幹部との子供であるといううわさを流された[4][5][6]。セバーグは結局流産してしまうが、父親についてのうわさを否定しようと記者会見で流産した胎児の写真を自ら公表する[7]。胎児にはアフリカ系の特徴は見られなかったが、セバーグが精神面でバランスを崩し始めていることは誰の目にも明らかだった。その後は深刻なうつ病に悩まされたという。
1979年の8月に失踪し、11日後にパリ郊外に駐められた車の中から遺体で発見された。アルコールとバルビツールによる自殺であると見られており、手にしていた遺書には『許してください。もう私の神経は耐えられません』と書かれていた。
セバーグは現在、パリのモンパルナス墓地に埋葬されている(写真はw:Image:Seberggrave.jpgを参照)。
生前、来日もしており、和服姿で碁をうっている写真が現存する(雑誌「平凡」より)。
主な出演作品 [編集]
- 聖女ジャンヌ・ダーク Saint Joan (1957)
- 悲しみよこんにちは Bonjour tristesse (1957)
- 勝手にしやがれ À bout de souffle (1959)
- さよならパリ Les Grandes personnes (1961)
- リリス Lilith (1964)
- 素晴らしき男 A Fine Madness (1966)
- ペンチャーワゴン (1969)
- 大空港 Airport (1970)
- 殺し Kill! (1971)
関連書籍 [編集]
- Richards, David(1981). Played Out: The Jean Seberg Story. Random House . ISBN 0-394-51132-8.
- ギャリー・マッギー 『ジーン・セバーグ』 石崎一樹訳 水声社 2011年3月
参照 [編集]
- ^ Jean Seberg Found Dead in Paris; Actress Was Missing for 10 Days; A Li... - Free Preview - The New York Times
- ^ THE SEBERG TRAGEDY; JEAN SEBERG - Free Preview - The New York Times
- ^ Richards, p.204
- ^ JEAN SEBERG: Politics>
- ^ Richards, p.239
- ^ Richards, p.247
- ^ Richards, p.234