ジレ・ミュラー

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ジレ・ミュラー Tennis pictogram.svg
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ジレ・ミュラー
基本情報
ラテン文字名 Gilles Müller
愛称 Mülles (ミュレス)
国籍 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク
出身地 同・シフランゲ
生年月日 1983年5月9日(31歳)
身長 193cm
体重 92kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2001年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2009)
全仏 2回戦(2012)
全英 3回戦(2005・11)
全米 ベスト8(2008)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2005)
全仏 1回戦(2005・06・13)
全英 2回戦(2014)
全米 1回戦(2005・14)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 42位(2011年10月3日)
ダブルス 147位(2005年10月10日)
2014年9月11日現在

ジレ・ミュラーGilles Müller, 1983年5月9日 - )は、ルクセンブルクシフランゲ出身の男子プロテニス選手。2008年全米オープンでベスト8に入った選手である。まだツアーの優勝はないが、シングルスで3度の準優勝がある。シングルス自己最高ランキングは42位(2011年10月)。身長193cm、体重92kgで、左利きの長身選手。

来歴[編集]

5歳からテニスを始め、高校を卒業した16歳からフランスに留学する。ジュニア選手時代は、2001年ウィンブルドン男子ジュニアシングルス部門で準優勝した後、続く全米オープン男子ジュニアで優勝がある。同年にプロ転向し、男子テニス国別対抗戦・デビスカップルクセンブルク代表選手に選ばれた。男子テニスツアーの下部組織の大会を回っていた時期、2002年3月に日本大阪でプレーし、2003年3月には京都でプレーしたことがある(ともに2回戦で敗退)。3年間の下積みを経て、2004年全豪オープン4大大会デビューを果たす。同年8月にアメリカワシントンの大会で男子プロテニスツアーに初の決勝進出を果たしたが、レイトン・ヒューイットに 3-6, 4-6 で敗れた。この年も来日し、10月の「ジャパン・オープン」で準々決勝まで進出した。

2005年度の4大大会で、ジレ・ミュラーは立て続けに番狂わせを起こす。ウィンブルドンの2回戦では、先の全仏オープンで優勝したばかりのラファエル・ナダルを 6-4, 4-6, 6-3, 6-4 で破り、全米オープンでは1回戦で地元アメリカのエース、アンディ・ロディックに 7-6, 7-6, 7-6(3セット連続でミュラーがタイブレークを取った)で勝った。ウィンブルドンの終了後、7月下旬にアメリカロサンゼルス大会で2度目のツアー決勝進出を果たしたが、アンドレ・アガシに敗れている。

2006年10月、ミュラーは世界ランキングトップ100から陥落してしまう。2007年全豪オープンでは、1回戦で2004年全仏オープン優勝者のガストン・ガウディオを破ったが、続く2回戦で第3シードのニコライ・ダビデンコに 4-6, 0-6, 3-6 で完敗した。2007年ウィンブルドン以後、彼は4大大会でもしばらく予選敗退が続いた。

2008年全米オープンで久々に予選会を通過したミュラーは、この大会でベスト8に進出し、ルクセンブルク出身のテニス選手として史上最高成績を出した。2回戦のトミー・ハースドイツ)、3回戦のニコラス・アルマグロスペイン)戦の2試合連続で、2セット・ダウン(先に相手に2セットを取られた状態)からの逆転勝利を収めると、4回戦でも第5シードのニコライ・ダビデンコを 6-4, 4-6, 6-3, 7-6 で倒した。初進出の準々決勝では、第2シードのロジャー・フェデラーに 6-7, 4-6, 6-7 のストレートで敗れた。この活躍により、彼は2年ぶりに世界ランキング100位以内にも復帰した。2009年全豪オープンでも初の3回戦に進み、第8シードのフアン・マルティン・デル・ポトロアルゼンチン)に 7-6, 5-7, 3-6, 5-7 のスコアで敗れている。

2011年全米オープンでミュラーは4回戦に進出した。4回戦では第2シードのラファエル・ナダルスペイン) に 6-7(1), 1-6, 2-6 で敗れ3年ぶりのベスト8進出は逃したが、2011年10月3日のランキングで自己最高の42位を記録している。

2012年7月のアトランタ・テニス選手権でミュラーは7年ぶりのツアー決勝に進出した。決勝ではアンディ・ロディックに 6–1, 6–7(2), 2–6 で敗れ初優勝を逃した。ロンドン五輪に初出場し、シングルス2回戦でウズベキスタンデニス・イストミンに 7–6(4), 6–7(3), 5–7 で敗れた。

ATPツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 3回 (0勝3敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (0–3)
サーフェス別タイトル
ハード (0–3)
クレー (0-0)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2004年8月16日 アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C. ハード オーストラリアの旗 レイトン・ヒューイット 3–6, 4–6
準優勝 2. 2005年7月25日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード アメリカ合衆国の旗 アンドレ・アガシ 4–6, 5–7
準優勝 3. 2012年7月22日 アメリカ合衆国の旗 アトランタ ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–1, 6–7(2), 2–6

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 通算成績
全豪オープン A 1R 1R 2R 2R LQ 3R A 2R 1R 1R A 5–8
全仏オープン LQ LQ 1R 1R LQ A 1R A LQ 2R 1R A 1–5
ウィンブルドン A LQ 3R 1R 2R LQ 1R LQ 3R 1R A 2R 6–7
全米オープン LQ LQ 2R 1R LQ QF A A 4R 2R A 1R 9–6

外部リンク[編集]