ジョージ・C・ピジョン

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ジョージ・C・ピジョン
George C. Pidgeon
宗教 キリスト教
分派 長老派
個人情報
国籍 カナダ
生誕 1872年3月2日
死没 1971年6月15日(99歳)
地位
本拠地 カナダ
肩書き カナダ合同教会総会議長初代
就任期間 1925年-1926年
次代 ジェームズ・エンディコット
経歴
過去の地位 カナダ長老教会総会議長

ジョージ・C・ピジョン (George C. Pidgeon、1872年3月2日 - 1971年6月15日) は、キリスト教カナダ長老教会及びカナダ合同教会牧師である。ピジョンは1925年に発足したカナダ合同教会の最初の総会議長でもある。彼はこの合同計画の力強い提唱者であり、その後の人生においてもエキュメニズムを擁護していた。

ピジョンは1894年に長老教会から牧師として按手された。彼はモントリオールのプレスビテリアン・カレッジで神学の学位をえている。最初の任地はモントリオール・ウェスト長老教会 (現在のモントリオール・ウェスト合同教会)であった。その後、彼はトロント地区に移り、ウェスト・トロント・ジャンクション地区に異動になるまで、ストリートビル地区 (現在のミシサガ)で働いた。

1909年から15年までは牧会の仕事を離れて、バンクーバーのウェストミンスター・ホールで神学を教えた。現在、この学校はブリティッシュコロンビア大学のキュンパス以内にあるバンクーバー神学校になっている。1916年にトロントにもどると、ブルア・ストリート長老教会 (現在のブルア・ストリート合同教会)で牧師を務めた。

ブルア・ストリート合同教会

1923年カナダ長老教会の総会議長となり、長老派メソジスト派会衆派の教会合同を推進する主唱者となった。しかし、長老教会のなかの一部には教会合同に反対するものもいた。計画全体を頓挫させかねないこの問題は、長老派の個々の教会が合同に参加するかしないかを決める投票権があることを認めることで、解決された。この結果、長老派の4509教会のうち302教会 (うち211教会がオンタリオ南部にあった[1])は、「存続」カナダ長老教会を再結成することを選んだ。

合同支持派の長老教会の賛同をえて、1925年6月10日カナダ合同教会はトロントのミューチュアル・ストリート・アリーナで大規模な礼拝式をひらいた。

新しい教会のエキュメニカルな基調は最初の総会から表れていた。初代総会議長の候補として最有力だったのはメソジスト教会の元総監督であったS・D・チャウンであった。これは新しい合同教会において最大の割合を占めたのがメソジスト教会であったからである。しかし、驚いたことに、チャウン博士はピジョンにその地位を譲った。チャウンの願いは、これによって新しい教会に参加することを選んだ長老派のひとたちの決心をより堅固なものにすることであった[2]。初代総会議長としてピジョンは1年間その役目を務めた。

ピジョンは禁酒運動や家庭宣教の支持者であり、後には1945年のカナダ教会協議会や1946年の世界教会協議会のようなエキュメニカルな組織結成の推進役をはたした。

ピジョンは牧師として32年間、ブルア・ストリート合同教会で働き、1948年に引退した。彼は1971年に99歳で他界している。

参考文献[編集]

  1. ^ "Vast Majority of Presbyterians Favour Union," Brantford Expositor, 1925年1月25日号
  2. ^ Gallinger, Kenneth R. (2009年2月8日). “United, Unorthodox, Unlimited”. Lawrence Park Community Church. 2012年11月16日閲覧。
宗教の称号
先代:
No position
カナダ合同教会総会議長
1925年 – 1926年
次代:
ジェームズ・エンディコット