ジョージ・ブレイク

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ジョージ・ブレイクGeorge Blake, 1922年11月11日 - )は、イギリスの外交官、ソ連スパイ。ブレイクはイギリスに帰国した時に名乗ったもので、本当の姓はビハル(Behar)。ソ連KGBの大佐。

経歴[編集]

出自[編集]

ロッテルダムのイギリス人ビジネスマンの家庭に生まれた。1940年、ドイツ軍によるオランダ占領後、抑留されたが脱走し、レジスタンス運動に参加。1943年、ピーター・ド・ブリの偽名でジブラルタル経由でイギリスに渡り、そこでジョージ・ブレイクを名乗った。

1944年、イギリス空軍に志願したが、ドイツ語オランダ語の知識を有していたため、特殊作戦執行部(SOE)に編入された。同年、連合軍総司令部で通訳として勤務。中尉となり、空軍の防諜部隊の指揮官となった。

1947年、外務省に入省。ケンブリッジ大学ロシア語を学び、1948年、駐ソウル英大使館副領事に任命された。1950年、朝鮮戦争が勃発し、北朝鮮軍がソウルを占領した時、ブレイクは他の外交官と一緒に抑留された。

スパイ[編集]

1953年4月、ブレイクはイギリスに帰国したが、既にソビエト諜報部により徴募されていた。彼がいかなる理由でソ連に寝返ったのかは知られていない。1955年、ブレイクは、西ベルリンの英軍警備司令部に配属され、MI6東ドイツ国内のエージェント網を指揮することとなった。ソ連はブレイクの職務上の地位を重視し、彼の出世を有利にするために、自国の小物スパイを西側に売り渡しすらした。

1956年、ブレイクは、電話会話盗聴用の地下トンネルの存在をソ連側に通報した(金工作)。彼は、自分が知っている東欧諸国内のイギリスのエージェント全員(約40人)の氏名、西側諸国軍の員数及び編成に関する情報をソ連国家保安委員会(KGB)に引き渡し、MI6指導者に関する詳細なファイルを作成した。これらの情報のおかげで、KGBは、長年に渡って、イギリス諜報部の活動を完全に封じることができた。

暴露[編集]

1956年から1959年まで、外務省に復帰し、イギリス諜報部のために働いていた元ゲーレン機関のエージェント、ホルスト・エイトナーと関係を維持した。この期間、ブレイクとエイトナーは、互いにKGBのエージェントであることを知った。1960年、エイトナーが逮捕され、1961年2月、ブレイクの活動について話したが、これは信用されなかった。その後、CIAのエージェントだった駐東ベルリン・ポーランド軍の諜報員ミハル・ゴエニフスキーが亡命し、ブレイクがKGBのスパイであることが明るみに出た。

1961年3月、ブレイクは逮捕された。彼の逮捕後、KGBは、東欧諸国内のイギリスのエージェント網を一撃で壊滅させた。この時、東ドイツだけで40人のエージェントが逮捕又は殺害された。

脱走[編集]

1961年5月、ブレイクは禁固42年を言い渡された。1966年10月、ブレイクは、獄中で知り合ったアイルランド人テロリスト、ショーン・アルフォンス・バークの助けで脱獄に成功し、バークの自宅に匿われた。

1967年1月、ブレイクはハンブルクに飛び、そこからKGBの助けでモスクワに渡った。数日後、バークもモスクワに渡った。その後は、KGB第1総局の顧問となり、1974年からソ連科学アカデミーIMEMOで働いた。

モスクワ在住。

パーソナル[編集]

レーニン勲章、赤旗勲章、一等祖国戦争勲章、「個人的勇気に対する」勲章を受章。

著書[編集]

  • "Другого выбора нет"(別の選択はない)、1991年

外部リンク[編集]