ジョージ・ピーボディ

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この項目は、ロンドンを拠点とした銀行家でアメリカ合衆国出身の慈善家でピーポディ研究所、ピーポディ・トラストの開設者ジョージ・ピーポディについての記事である。実業家で、アメリカ合衆国南部の教育支援家のジョージ・ピーポディについては、ジョージ・フォスター・ピーポディを参照のこと。

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ジョージ・ピーボディ(George Peabody、1795年2月18日 - 1869年11月4日)は、アメリカ合衆国出身の企業家慈善家で、ピーボディ研究所の開設者。彼は、マサチューセッツ州サウス・デンバー(現在のマサチューセッツ州ピーボディ)にピューリタンの先祖を持つ家族に生まれた。しかし、家族は、中流で決して豊かとはいえない経済状態にあった。彼の生まれた場所は、ピーボディのワシントン通り205で、そこは現在ジョージ・ピーボディ・ハウス博物館になっている。([1])これは、彼の生涯とその偉業を紹介するためのものである。ジョージ・ピーボディの生涯にわたるビジネスのパートナーにして友人の一人が、著名な銀行家で芸術のパトロンでもあったウィリアム・ウィルソン・コ―コランである。

1816年ピーボディは、メリーランド州ボルチモアに移り、そこにその後20年間住んだ。その後、1837年彼はイギリスロンドンに移り、その後の人生はそこで過ごした。

ジョージ・ピーボディは、生涯一度も結婚しなかった。彼は、1869年11月4日、ロンドンで74歳で亡くなった。彼はウェストミンスター大聖堂大司教の希望とヴィクトリア女王の承認によりウェストミンスター大聖堂に仮埋葬された。しかし、本人の遺志は、故郷マサチューセッツ州サウス・デンバーに埋葬されることであったので、ウィリアム・グラッドストン首相が、イギリス海軍の最新鋭艦で最大の艦艇モナ―クHMS Monarch (1868))で、遺体をアメリカ合衆国に帰還させるように手配した。彼はマサチューセッツ州セイラムに埋葬された。 マサチューセッツ州サウス・デンバーは、その名誉ある出身者の名前をたたえて、その名をピーボディと改名した。ピーポディはアメリカの偉人の殿堂en:Hall of Fame for Great Americans)のひとつで、ブロンクス・コミュニティカレッジがあり、以前はニューヨーク大学(NYU)もここにあった。

ピーボディの銅像はロンドンの旧王立証券取引所の隣に立てられ、フリーマンと呼ばれている。彼の死去から間もなく1869年に立てられている。これはメリーランド州ボルティモアの近郊マウント・バーノンにあるピーボディ研究所にその後建てられたものと同じものである。

ビジネス[編集]

ピーポディは1812年の戦争に志願兵として参加し、エリシャ・リッグスElisha Riggs)と知り合う。彼の支援により1814年、生活衣料雑貨の大規模な卸売り事業ピーポディ・リッグス商会を設立する。

1851年、彼はジョージ・ピーボディ商会を設立、アメリカの鉄道輸送での増大する積み荷の安全保障の要望に対応しようとする。3年後、彼はジューニアス・スペンサー・モルガンジョン・ピアポント・モルガンの父親)と提携し、ピーポディ・モルガン商会を設立。これにより両実業家は、1864年のピーボディの引退まで協力して運営に当たった。

ピーポディの引退後、この会社はJ・S・モルガン商会と改名。先のイギリスの商業銀行であるモルガン・グレンフェル銀行Morgan, Grenfell & Co.)。現在のドイツ銀行の一部)、国際的なユニバーサル銀行であるJPモルガン・チェースモルガン・スタンレーは、すべてピーボディ銀行にそのルーツを持っている。

慈善事業[編集]

ピーポディは、近代の慈善事業の祖として知られている。その後、アンドリュー・カーネギージョン・D・ロックフェラービル・ゲイツ、その他の人々によって受け継がれていくような事業の先鞭をつけたのが、彼である。 1862年、ピーポディはロンドンでピーポディ慈善基金を設立、今日のピーボディ・トラストである。これはロンドンの貧しい人たちを救済し、彼らに質の良い住まいを提供しようというものであった。ピーポディトラストによる最初の貧しい芸術家と労働者のための住宅は、1864年2月ホワイトチャペルのコマーシャル通りにオープンした。それらの住宅は建築家のH・A・ダービシャーが従来のゴシックのスタイルを打ち破る魅力的な装飾をつけて設計し、彼のもとにはそれ以後注文が殺到することとなった。

ピーボディには、ロンドンの貧困者への経済的な支援の功績をたたえて、チャールズ・リードの提案によりロンドン市の中心部に「フリーマン」と呼ばれる銅像が建てられた。

アメリカ合衆国では、ニューイングランドやその他にピーボディは、数多くの機関、研究所を設置し、また支援している。南北戦争が終わってから、彼はピーボディ教育基金を設置、南部の困窮した子どもたちの知的で、道徳的で手に職をつけられるような教育のために援助を行った。しかしながら、彼の最大の慈善活動は、彼の最初の経済的成功の舞台になったボルティモアで行われている。

ジョージ・ピーボディは800万ドル以上の寄付を行い、その大半が彼の存命中に行われている。そのリストの中には以下のようなものがある。:

1852年 ピーボディ研究所(現在は、ピーボディ研究所図書館)、マサチューセッツ州ピーボディ: 217,000ドル
1856年 ピーボディ研究所(現在は、ピーボディ研究所図書館デンバー)、マサチューセッツ州デンバー:100,000ドル
1857年 ピーボディ研究所、ボルチモア: 1,400,000ドル
1862年 ピーボディ慈善基金、ロンドン: 2,500,000ドル
1866年 ピーボディ考古学民族学博物館ハーバード大学
1866年 ピーボディ自然史博物館イェール大学: 150,000
1867年 ピーボディ・エセックス博物館、マサチューセッツ州セーラム: 140,000
1867年 ピーボディ研究所、コロンビア特別区、ジョージタウン: 15,000ドル (現在の特別区立図書館、ジョージタウン部門、ピーポディ室)
1867年 ピーボディ教育基金: 2,000,000ドル

参考文献[編集]

  • Parker, Franklin (1995). George Peabody: A Biography. Vanderbilt University Press. ISBN 0826512569. 
  • Hanaford, Phebe Ann (1870). The Life of George Peabody: Containing a Record of Those Princely Acts of Benevolence Which Entitle Him to the Esteem and Gratitude of All Friends of Education and the Destitute, Both in America, the Land of His Birth, and in England, the Place of His Death. B.B. Russell.