ジョージ・クリントン (ミュージシャン)
| ジョージ・クリントン | |
|---|---|
George Clinton performing in 2007
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| 基本情報 | |
| 出生名 | ジョージ・クリントン |
| 出生 | 1941年7月22日(70歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ファンク、サイケデリック・ロック、サイケデリック・ソウル、ファンク・ロック |
| 職業 | シンガー・ソングライター、プロデューサー |
| 担当楽器 | ヴォーカル、キーボード |
| 活動期間 | 1955年 - present |
| レーベル | キャピトル ペイズリー・パーク/ワーナー・ブラザーズ ソニー550ミュージック/エピック C Kunspyruhzy シャナキー |
| 共同作業者 | パーラメント ファンカデリック |
| 公式サイト | georgeclinton.com |
ジョージ・クリントン(George Clinton, 1941年7月22日 - )はアメリカのミュージシャンで、ファンクミュージックの開拓者の一人。
Pファンクの創始者として、パーラメント、ファンカデリックを率いる他、数多くの独創的ブラック・ミュージックの基礎を築いた。ジェームス・ブラウンと共に、「ファンキーオヤジ」として、ホームレスのような奇抜でナスティなファッションで知られ、本国アメリカでは高い音楽的芸術性に反して黒人社会を中心にした評価しか得られず、裁判などの金銭トラブルにおいても話題を提供した。来日時に東京タワーの展望台の売店で、みやげ物の値段が高過ぎるといって、大騒ぎしたという逸話もある。
Pファンクはコミック風のペドロ・ベル作のレコードジャケットや、ステージにおけるセクシャルな演出と、猥雑な歌詞が特徴で当時の若い黒人を中心に絶大な人気を得ていた。だが、Pファンクの個々の曲は白人の間ではゲテモノ扱いされてしまう。超満員のコンサートで、メンバー達はオムツ姿や髭だらけの女装姿で登場したりもしたことが一因かもしれない。一方彼らの音楽は、'80年代以降も他の多くの黒人ミュージシャンに絶大な音楽的な影響を与え続けた。Pファンクの曲をバックトラックに使ったラップミュージックは、後年多数大ヒットとなる現象を起している。英語圏でも、英語圏以外の地域でもPファンクは高く評価されている。過去に40枚以上のシングルをソウルチャートにおくりこみ、3枚のプラチナ・アルバムを獲得している。またパーラメントの「ギブ・アップ・ザ・ファンク」はポップチャートでも15位、「フラッシュ・ライト」はポップチャート16位まで上昇し、白人層にも受け入れられた。
目次 |
[編集] バイオグラフィ
ノースカロライナ州に生まれ、ニュージャージー州で育つ。現在はフロリダ州に住んでいる。元は床屋であった。髪型は黒人にとっては重要であり、床屋はとても大事にされていた、そのため暴動等がおこり、まわりがめちゃくちゃになってもクリントンの床屋は無事だったらしい。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] ソロアルバム
| タイトル | 発売年 | 注釈 | |
|---|---|---|---|
| "Computer Games" | 1982 | Capitol Records | |
| "You Shouldn't-Nuf Bit Fish" | 1983 | Warner Bros. | |
| "Some of My Best Jokes Are Friends" | 1985 | Capitol Records | |
| "R&B Skeletons in the Closet" | 1986 | Capitol Records | |
| "The Cinderella Theory" | 1989 | Paisley Park Records | |
| "Hey Man, Smell My Finger" | 1993 | Paisley Park Records | |
| "Sample Some of Disc - Sample Some of D.A.T." | 1993 | AEM | |
| "Testing Positive" | 1996 | AEM | |
| "How Late Do U Have 2BB4UR Absent?" | 2005 | The C Kunspyruhzy |