ジョーイ・バートン

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ジョーイ・バートン Football pictogram.svg
JoeyBarton.jpg
名前
本名 Joseph Anthony Barton
カタカナ ジョセフ・アンソニー・バートン
ラテン文字 Joey Barton
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 1982年9月2日(31歳)
出身地 ハイトン英語版
身長 180cm[1]
体重 70Kg
選手情報
在籍チーム イングランドの旗 クイーンズ・パーク・レンジャーズFC
ポジション DH、CH
背番号 17
利き足 右足
ユース
-1996
1996
1997-2002
イングランドの旗 エヴァートン
イングランドの旗 リヴァプール
イングランドの旗 マンチェスター・C
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2007
2007-2011
2011-
2012-2013
イングランドの旗 マンチェスター・C
イングランドの旗 ニューカッスル
イングランドの旗 QPR
フランスの旗 マルセイユ (loan)
130 (15)
81 0(7)
37 0(4)
25 0(0)
代表歴
2003
2007
イングランドの旗 イングランド U-21
イングランドの旗 イングランド
2 (1)
1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年10月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ニューカッスル時代のバートン

ジョセフ・アンソニー・バートンJoseph Anthony Barton, 1982年9月2日 - )は、イングランドマージーサイド州ノーズリー出身のサッカー選手クイーンズ・パーク・レンジャーズFC所属。ポジションはMF

経歴[編集]

マージーサイド州ノウズリーのハイトンで、4人兄弟の長男として育つ[2]。14歳の時に両親が離婚し、屋根職人の父親と共にセントジョンの祖母の家で暮らした[3]。 憧れであるエヴァートンのユースチームに所属していたが、14歳の時にほどなくクビにされ、ノッティンガム・フォレストでトライアルを受けたが背が小さいという理由で落ちる[4]。しかし15歳の時にエヴァートンの元スカウトマンの目にとまり、マンチェスター・シティのトライアルを受け見事合格。ユースチームで頭角を現し、ケヴィン・キーガン監督(当時)の2002-03シーズン11月のミドルズブラ戦でサブメンバーとしてトップチーム入り。しかしこの時は起用されず、2002-03シーズン4月のボルトン戦でついにデビュー。同じ月のトッテナム戦で初ゴール。めきめきと才能を開花させ、2003-04シーズンにクラブのヤングプレーヤー賞受賞。U-21イングランド代表の招集を受け、マケドニアポルトガル戦に出場し1ゴール。 マンチェスター・シティの若きエースとして中盤でスタメンに定着する傍ら、短気な性格が災いしピッチ外での問題行動が目立つようになる。

2005-06シーズンには憧れのロビー・ファウラーがつけていた8番を受け継ぎ、クラブの象徴的存在に成長。2006年1月、その才能に目をつけたミドルズブラが獲得のオファーをして来たり、シティでの限界を感じて移籍も考えたが思いとどまる。2006年夏、アーセナルアーセン・ベンゲル監督の紹介を受けたモナコはじめ多くのクラブが獲得に動いたが、シティと4年間の契約延長をし残留へ。2007年1月、生まれ故郷で、少年期の憧れのクラブであるエヴァートンが獲得のオファーを提示してきたが、シティで身を固めたいと、改めて残留を表明。2007年2月、スペインとの親善試合でイングランド代表に初招集され、自らが非難したフランク・ランパードとの交代で後半にピッチに登場し1キャップを飾る。

2006-07シーズン、チームは低迷し残留争いに巻き込まれたが、彼の活躍で中位に復活。しかしシーズン終盤、チーム批判を行うと共に練習中にチームメイトの元フランス代表MFウスマーヌ・ダボを殴打する事件を起こし、ついに長年在籍したシティを出る決意を固めた。すぐさまニューカッスルウェストハムサンダーランドがバートン獲得に興味を示す。

2007年6月14日、移籍金14億で(当時の)サム・アラダイス監督率いるニューカッスルと契約。番号は7番。 契約して1カ月後の親善試合で、キャプテンマークを巻いてプレーしたが左足の第5中足骨を骨折し、開幕から出遅れて10月にやっと公式戦デビュー。だが調子は上がらず途中交代が目立った。 2007年11月、サム・アラダイスに対し味方のサポーターからブーイングが起ると、ブーイングを止めてチームをサポートするように諭した。しかしサポーター集団は激怒し、対立関係を生んでしまう。07年末にリヴァプールで暴行事件を起こし、年越しを留置場で過ごす。酒の悪影響を改善するためにクリニックに通う。

2008年1月17日、かつてのマンチェスター・シティ時代の恩師、ケヴィン・キーガンへ監督が変わり、その後の試合でめきめきと調子を取り戻し、持ち前のパサーとしての才能を開花させた。 調子も上がってきたが5月、前年末の暴行事件の判決で禁固6ヵ月の判決を受け刑務所行き。 さらに6月、にはウスマーヌ・ダボを殴打した判決で執行猶予4ヶ月、地域奉仕200時間に罰金を課せられた。

クラブはこの判決を受けて、減給を受け入れなければ放出するとバートンに突きつけたが、この減給案を拒否。さらにサポーターからも、放出を願う意見が後を絶たなかったが、キーガン監督はバートン残留を強く望み、徹底的にかばう姿勢を取った。結果的には減給を受けることなく、ニューカッスルに残留することとなった。

74日間の刑務所暮らしの末、模範囚として7月に釈放される。釈放されたとはいえ、裁判関連でのごたごたから2008-09シーズンは絶望と思われていたが、第3節のアーセナル戦でまさかのサブメンバー入り。89分にホナス・グティエレスとの交代でわずか3分ほどながら4ヶ月ぶりに公式戦出場。ひと波乱を巻き起こす。

9月、FAはダボ殴打の事件に対し、12試合の出場停止ならびに2万5千ポンド(480万円)の罰金を言い渡す(12試合のうち6試合は執行猶予で、09/10シーズンまでに暴行事件や試合中に暴力行為を起こした場合に課せられるようで、何事もなければ6試合の出場停止)。

10月、出場停止が明けてサンダーランドとのタイン・ウェア・ダービーでトップチームに復帰。11月、対ウィガン戦で、相手のMFリー・カッターモールからタックルを食らい、右ひざじん帯を負傷。復帰まで8週間との診断を受ける。

2009年1月、対ブラックバーン戦で、2ヶ月ぶりに戦列復帰。早くも2008-09シーズン3度目の復帰となった。ポーツマスとボルトンが彼の獲得に乗り出してきたが、彼はニューカッスルを離れるつもりはなかった。2009年1月、古巣マンチェスター・シティ戦で、右足の第5中足骨を骨折、クラブは8週間欠場すると発表した。2009年4月、ポーツマス戦でサブメンバーとして戦列復帰。早くもシーズン4度目の復帰となった。5月リヴァプール戦で相手MFシャビ・アロンソに激しくタックルし、一発退場。アラン・シアラー監督はこの行為に激怒し、クラブはバートンに対して無期限の謹慎処分を課した。クラブが降格すると、クラブへの残留を表明した。

2011年8月26日クイーンズ・パーク・レンジャーズ(QPR)へ4年契約で移籍。主に中盤の底でプレーしていたが、後述の件で12試合出場停止処分を受けて構想外となり、2012年8月31日ステファーヌ・エムビアとの交換トレードの形でフランスオリンピック・マルセイユにレンタル移籍した。この処分には、フランスでも適用されるため、QPR時代で既に3試合の処分を終えており、フランス国内の公式戦では9試合に出場できないこととなった。

マルセイユではUEFAヨーロッパリーグフェネルバフチェ戦で初出場。又、4節のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦ではコーナーキックから直接決めるセンセーショナルなゴールで移籍後初ゴールを記録。その後はチームに溶け込み、レギュラーを掴んでいる。

2013-14シーズンはチャンピオンシップに降格したQPRに復帰。中盤の要としてプレーオフを戦い抜きQPRのプレミアリーグ復帰に貢献した。

エピソード[編集]

マンチェスター・シティに所属していた頃。背番号も24から8へと変わった。
  • 育った街であるハイトンは英国で3番目に貧しい地域とされ、学校は荒廃し犯罪と薬物汚染が酷かった。少年時代に叔父の一人は殺され、もう一人の叔父も襲われて植物人間になった。最近では従兄弟が殺人で逮捕された。そんな地元の荒んだ環境の中で犯罪や、ドラッグに染まらなかったのは、厳格な祖母のお陰だと語った。
  • 少年時代はエヴァートンファン。父親もセミプロでサッカーをやっていた経験があり、Northwich Victoria F.C.の選手だった。
  • 2006年ドイツワールドカップの後、イングランド代表が次々と自伝を書き「勝利を獲得するまで、自伝を出すべきではない。俺がチームに入ってればもっとマシになったはず」と批判した。またジェラードとランパードが中盤で共存することはできないと断言した。
  • 2007年2月、スペインとの親善試合でイングランド代表として後半に出場。わずか12分間のプレーだったが「他の奴がもっと長い時間にやった以上のことをやったと思っている」と豪語。
  • 彼の異母弟であるマイケル・バートン(Michael Barton)が殺人事件を起した時、TVで出頭を呼びかけた。マイケルは現在懲役18年で服役中である。
  • イギリスの国民的ロックバンド、オアシス (バンド)ノエル・ギャラガーやプロボクサー、リッキー・ハットンと仲が良い。
  • キャプテンシーに優れ、ピッチの内外関わらずチームを鼓舞することも彼の重要な仕事。ニューカッスル・ユナイテッドでの07/08シーズン後半から、チームは試合前に円陣を組んで結束をはかる光景が見られたが、その中心で彼はいつもチームメイトに声をかけ鼓舞した。
  • 2003年のクリスマスパーティで、悪ふざけからジェイミー・タンディがバートンの高級スーツの袖に火をつけた。頭にきたバートンはタンディの左目を目がけ火のついたタバコを押し付けてあやうく失明かと思わせる火傷を負わせる。クラブは6週間分の給料没収の処置。
  • 2004年7月、ドンカスター・ローヴァーズとの親善試合で、危険なタックルを相手に行い、乱闘に発展し当時のキーガン監督を激怒させる。しかしチームメイトのスティーブ・マクマナマンは「ジョーイ(・バートン)は、荒いプレーに関係なく、評価に値するに十分な素晴らしいプレーヤーだ。2、3の酷いタックルが向こうにもあったんだ。そんなことで大騒ぎするなんてナンセンスだよ。ジョーイは攻撃的なプレーヤーだけど、私にはそれが問題だなんて思えない」と擁護した。
  • 2005年5月、深夜2時ごろリバプールで車を運転中に35歳のリバプールサポーターと接触。足の骨を折る怪我を負わせてしまう。
  • 2005年7月22日、タイへの遠征中、バンコクのホテル内のバーで、エヴァートンサポーターの15歳の少年が彼を蹴りつけ、それに報復。止めに入ったリチャード・ダンの手にも噛みついた。強制送還されたうえ、3万ポンド(約600万円)の罰金。さらに7日間にわたり自制に関するプログラムをクリニックで受けさせられた。クリニックにいた時間は人生が変わる経験だったと語る。
  • 2006年9月30日、エヴァートンとの試合後に、体に障がいを持つ味方サポーターに真っ先にかけよりユニフォームをプレゼント。その後相手サポーターの野次が聞こえてくると、笑顔でパンツを下ろし、お尻を出して応戦した。その行為が全国放送されてしまったことから公然わいせつとして警察とFAは調査。警察からはお咎めなしだったが、FAからは罰金(当時で)4400万円を科せられた。
  • 2007年3月4日未明、リバプールでタクシー運転手に暴行を加えた容疑で逮捕されたが、これは無罪になった。
  • 2007年、所属するマンチェスター・シティが残留争いに巻き込まれ、クラブの補強を非難。クラブはバートンにインタビューを受けることを禁止した。イライラが募ったのかその年の5月には、練習中にチームメイトのウスマーヌ・ダボの顔面を複数回に渡り殴打し、網膜に傷を負わしている。この罪で1年後に執行猶予4ヶ月、地域奉仕200時間、3000ポンドの罰金を課せられた。
  • 2007年9月、怪我で試合に出られないので、子供の時に仲間とよくやっていた釣りに出かけて大いに楽しんだ模様。
  • 2007年12月27日、リバプール市内で、口論となった16歳の少年に20発近い殴打を浴びせ、歯などを折る怪我を負わせた。ひどく酔った状態での犯行で、この罪により禁固6カ月。2008年5月20日から74日間服役した。
  • 刑務所ではかなりの模範囚だったようだ。所内では当初清掃の仕事を任されたが、それを拒否し溶接工の仕事を得た。これはかなり気に入ったらしくめきめきと腕をあげ、楽しんでやっていた模様。後にフィットネスのトレーナーの仕事も得た。
  • 2008年8月30日、アーセナルとのアウェイゲームで、出所後4カ月ぶりにピッチに立ったが、89分にバートンが交代で登場すると割れんばかりの大ブーイングがスタジアムを包んだ。ピッチに入ってすぐアーセナルのMFサミル・ナスリ に強烈なスライディングタックルをお見舞い。ナスリは前のめりに勢いよく転倒。ナスリはボールを追いかけるバートンに対し、後ろからさりげなく蹴って報復し、イエローカードをもらう。試合後、ナスリの報復に対しキーガン監督がアーセナルの主将ウィリアム・ギャラスやナスリ本人に激しく抗議するひと波乱があった。
  • 2008年9月3日、練習帰りに車でバス専用車線を走行、信号無視する姿が目撃され議論を呼ぶ。
  • 2008年10月、滅多にメディアに出たがらないが、珍しく多くのインタビューに答えてこれからの人生の抱負を語った。その中でも「自分のような落ちこぼれでも、やればできる、不良たちのお手本になりたい」と言った発言が大々的に報道される。
  • 2008年10月25日サンダーランドAFCとのタイン・ウェア・ダービーで出場停止から解禁されたが、サンダーランドサポーターからはウォームアップしている最中にコインを投げつけられたり、ブーイングを浴びせられた。バートンはトレーニングウェアのクラブエンブレムにキスして反撃。飛んできたコインは涼しい顔で返した。
  • 2008年10月28日ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCとのホームゲームで、開始9分にPKを得たニューカッスル。PKキッカーは決まっていたが、それを無視し、バートンは自らボールをセットし蹴って決めてしまう。ゴール後は胸を叩いてサポーターに駆け寄り喜びをアピール。その後「このゴールは俺ががっかりさせちまったファンや全ての人々に捧げる。他にも蹴りたい奴はいたけど、どうしても俺がやりたかった」と語った。
  • 2008年11月3日アストン・ヴィラFCとのゲームで、あきらかにゲイブリエル・アグボナラホーのファウルだったが、バートンがファウルをしたという判定に激怒。アグボナラホーに詰め寄り、唇辺りを軽く叩いてしまった。マスコミは一斉に「人種差別的言動をした!!」とバートンを叩きはじめ、FAは暴力行為があったと認められた場合、6試合の出場停止を課すこともできたが、試合後のビデオチェックでお咎めなし。アグボナラホー本人も特にFAへ訴えることもなく、話は収束へ。ニューカッスルのヒュートンコーチは今回の件について「ジョーイに関する事件は、他のプレーヤーでも当然ありそうなことなのに、ジョーイの場合だと話が大きくなってしまう・・・」と嘆いた。
  • 2009年1月、運転資格がないにも関わらずニューカッスル市内を愛車で走っているところ目撃され、750ポンドの罰金を課せられた。
  • 2009年1月、古巣マンチェスター・シティ戦で、右足の第5中足骨を骨折し負傷交代。スタッフに付き添われロッカールームに戻る途中、失望と怒りの余りスパイクを思い切り目の前のドアに向かって投げつけた。
  • 2009年1月26日付で英タイムズ誌が発表した【現代フットボールに不要なものベスト50】の32位に、堂々ランクイン。内容は、倒れている相手に蹴りをいれるような奴は要らない。Googleで【ジョーイ・バートン クズ】と、検索してみなさい。30,500件もヒットする!!というもの。
  • 2009年2月、ホームでのエヴァートンFC戦では怪我をしているにも関わらずチームウェアを着てベンチ入り。バートンの存在に気づいたエヴァートンを率いるデイヴィッド・モイーズ監督は握手を求めに行き、バートンも笑顔で握手に応えた。
  • フランク・シナトラを愛聴している。理由は気分をリラックスさせ、ピッチに足を踏み出すのにいいリズムを与えてくれるからだと言う。
  • 2009年4月、ロンドンのキングスクロスからケンブリッジへの旅行中に、切符を買わずに電車に乗って駅員に捕まる。£30.60の切符を持っていなくて、£61.20の罰金。しかしメディアは捕まった時に、バートンが文学を読んでいたことに注目。英国各誌は【バートンは読めるのか!?】という辛辣な見出しをつけて、事件を報道。バートンのスポークスマンは事件について「ジョーイ(バートン)は切符を買う暇がなかったんだ」とコメント。
  • 2009年4月、引退後を視野に入れてか競馬に関するビッグビジネスに興味を持っていることが明らかになる。
  • 2009年5月、アウェイのリヴァプールFC戦でスタメン出場したが、後半32分にスティーヴン・ジェラードのクロスを、ライン際でキープしたシャビ・アロンソに対し背後から強烈なスライディングタックルをする。バートンはボールを狙ったんだとアピールしたが、審判は迷うことなくレッドカードを提示。シャビ・アロンソは担架で運ばれ、バートンを欠いたニューカッスル・ユナイテッドは0-3で敗戦。降格の危機はより一層濃厚になった。試合後、バートンはアロンソに謝罪したが、このタックルに対して、アラン・シアラー監督は激怒し、バートンとドレッシングルームで取っ組み合いの罵り合いにまで発展。クラブはバートンに対して、無期限の謹慎、シーズン残りの全試合の出場停止となった。これにより降格の危機に直面しているニューカッスルは、残り試合をバートンなしで戦うことを余儀なくされた。
  • スポーツで恵まれない人々を助ける"セカンド・チャンス"というプロジェクトに関わり、サッカーを教えている。
  • 2009年7月、複数のクラブがバートン獲得に乗り出したが、本人は生まれ故郷であり、憧れのクラブでもあるエヴァートンからオファーが来ない限り、残留する意向を示した。
  • 2009年8月、09/10シーズンの開幕戦をベンチスタートになったのは、チームメイトと大喧嘩したためとの報道が出たが、バートンのスポークスマンは事実無根と否定。
  • 2010年11月、ホームのブラックバーン・ローヴァーズFC戦、審判へ抗議に行こうとした際、相手MFモアテン・ガムスト・ペデルセンの肩が自分にかすったことに激怒し、ペデルセンのみぞおちにパンチを見舞った。[5]
  • 2011年2月、アーセナル戦で、アブー・ディアビに対しタックルを見舞う。これに激怒したディアビは、バートンの首根っこをつかみ、そのまま突き飛ばした。このプレーでディアビは退場、その後、ニューカッスルは4点ビハインドの状態から追い付いた。[6]
  • 2011年8月、2011-12シーズン開幕戦のアーセナル戦で、相手FWジェルビーニョがペナルティエリア内で転倒。これをダイブ行為だと判断し激怒したバートンは、ジェルビーニョのユニフォームをつかみ、無理やり引き起こした。しかし、逆にこの行為にジェルビーニョが激昂。もみ合いの末ジェルビーニョの手がバートンの左頬から頭にかけてに当たり、バートンは倒れ込んだ。この一連のプレーでジェルビーニョは1発退場。バートンはイエローカードで済んだ。なお、このゲームはジェルビーニョにとってプレミアデビュー戦だった。
  • 2012年5月13日、所属するクイーンズ・パーク・レンジャーズの一部残留がかかった最終節のマンチェスター・シティ戦で、後半早々にプレーとまったく関係のないところで相手FWカルロス・テベスに対しひじ打ちをしレッドカードを提示される。さらにその直後判定に対する腹いせとばかりセルヒオ・アグエロを膝で蹴り上げ、怒って詰め寄ってきたヴァンサン・コンパニに頭突きを見舞い、両入り乱れる乱闘騒ぎを起こし、関係者に連れられて退場した。この一連の行為に対し、リーグはバートンに12試合出場停止処分を下した。バートンはシーズン後、キャプテンと背番号をはく奪され、さらにQPRからは無償で放出する方針を明らかにされ、処分を受け入れつつも退団を申し出た。しかし、マーク・ヒューズがそれを拒否したため監督をツイッター上で批判した。結果的に希望していたマルセイユへのローン移籍が決まるが、12試合の出場停止処分が消化されておらず、移籍先のマルセイユでの処分継続となった。
  • Twitterではニーチェの言葉を引用するなど哲学的なツイートをしてたびたび話題になっている。本人によると仏教に関する本を多く読んでいるという。[7]またサッカー選手の中ではフォロワーも多い。
    • かつての指揮官アラン・シアラーが自身を批判してきた際にはツイッターで「確かにお前は素晴らしい選手だった。だけど、俺のほうがまともな髪型をしているし、TVに出るときにはもっとマシなシャツを着ているし、人間的にまともだな。」とつぶやいた。それに対してのギャリー・リネカーの名指しでのつぶやきにに対しても「また紳士気取り?。カラのクローゼットでもチェックしていればいいんだ。さっさと石の下にでも帰るんだなカエル野郎」と猛反撃を喰らわせた。[8]
    • 2013年1月23日に行なわれたキャピタルワン・カップ準決勝スウォンジー・シティvsチェルシーFC戦においてチェルシーFCのMFエデン・アザールがボールボーイを蹴ったとされる問題では、「アザールはボールを取り返そうとしただけなのに、おそらくボールボーイを蹴ったという罪で処罰されるだろう。それなら、思いっきり蹴っときゃよかったのに」という趣の内容をつぶやき、話題となった。ちなみにその後「勘違いされたら困るが、子どもをボールのように蹴るのには反対だ」と言っている。なおバートンはその前の年にアグエロを蹴り上げて処分されている。[9]
    • 2013年4月、パリ・サンジェルマン所属でブラジル代表DFチアゴ・シウバが、以前ネイマールを批判したバートンに「彼は偉大な選手を非難することを楽しんでいる」と反論したことに対して、バートンは「女々しいやつ」「性転換者」などといった辛辣な言葉で非難。PSG側から法的処置をとると警告を受け、所属クラブであるマルセイユが謝罪する事態となった。[10]
  • マンチェスター出身のミュージシャン、モリッシーの大ファンだと公言している。
  • チームメイトのアンドレ=ピエール・ジニャックと仲が良く、Twitterでユニークな会話を繰り広げている。
  • 2013年9月、以前から引用している哲学を学ぶためローハンプトン大学へ登校しニュースになった。
  • 2013-14シーズンのバーンリーFC戦でサポーターからコーラのボトルを投げられた[11]
  • 2014年のオフ、BBCの政治討論番組に「サッカー界の哲学王」として招待され、独立党の躍進について「ブス4人からマシなのを選んだ。それがあんたらだ」と女性議員の前で揶揄し議論はヒートアップ。女性議員から「失礼ね。サッカー選手は足に脳味噌があるのよ」と反論された。後に自身の発言を「失礼だった」と謝罪したが、「サッカー選手の脳が足にあるってのは俺の言ったどの発言より失礼な発言だ」と言い返した。また番組については「ブスな鳥がいないならまた出たいね」とツイートした。[12]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

2012年1月31日現在
シーズン クラブ リーグ リーグ FAカップ フットボールリーグカップ ヨーロッパ 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2002–03 マンチェスター・シティFC プレミアリーグ 7 1 0 0 0 0 0 0 7 1
2003–04 28 1 4 0 2 0 5 0 39 1
2004–05 31 1 1 0 1 1 0 0 33 2
2005–06 31 6 5 0 0 0 0 0 36 6
2006–07 33 6 4 1 1 0 0 0 38 7
クラブ合計 130 15 14 1 4 1 5 0 153 17
2007–08 ニューカッスル・ユナイテッドFC プレミアリーグ 23 1 0 0 0 0 0 0 23 1
2008–09 9 1 0 0 0 0 0 0 9 1
2009–10 チャンピオンシップ 15 1 0 0 0 0 0 0 15 1
2010–11 プレミアリーグ 32 4 1 1 2 0 0 0 35 5
2011–12 2 0 0 0 0 0 0 0 2 0
クラブ合計 81 7 1 1 2 0 0 0 84 8
2011–12 QPR プレミアリーグ 31 3 1 0 0 0 0 0 32 3
クラブ合計 31 3 1 0 0 0 0 0 32 3
合計 242 25 16 2 6 1 5 0 267 28

所属クラブ[編集]

ユース時代
プロ契約後

出典 [編集]