ジョン・ミード・ハンツマン (ジュニア)

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ジョン・ハンツマン

ジョン・ミード・ハンツマン(Jon Meade Huntsman, Jr.)(1960年3月26日 - )は、アメリカ合衆国政治家外交官駐シンガポール大使 (1992-1993)、ユタ州知事 (2005-2009)、駐中国大使 (2009-2011)を務めた。

生い立ちと初期の経歴[編集]

ハンツマンはカリフォルニア州パロアルトにおいて誕生した。父親は長者番付フォーブズ400に掲載されたこともある大富豪で、ハンツマン・コーポレーション会長であり、慈善家でもあったジョン・シニアであり、ハンツマンはその長男であった。

ロックンロールのバンド活動のため、高校を中退した。その後は専らバンドとマウンテンバイクの趣味に走り、オートバイモトクロスを愛好した[1]

ユタ大学へ進学し、友愛会シグマ・カイに所属した。その後、アイビー・リーグの1つペンシルベニア大学に転学し、ウォートン・スクールでビジネス学の学士号を取得した。

末日聖徒イエス・キリスト教会の教徒であり、台湾伝道部に所属した。流暢な普通話を話すことができ、「洪博培」という自ら選んだ漢字名を持っている。[2]

企業経営[編集]

大学卒業後の1984年から、父親が経営するハンツマン・コーポレーションに参加した。1984年からグループ会社ハンツマン太平洋化学において製品部長を務めた。1985年、レーガン政権に加わるため、会社を一時的に離れた。

1987年、ハンツマン太平洋化学に復帰し、同社で理事および副社長に就任した。この間、1987年から1988年にかけて、家族とともに台湾台北で駐在生活を送った。1988年にアメリカに帰国した後は、ハンツマン・コーポレーション本社の国際ビジネス担当副社長および常務理事にも就任した。その後1989年、大ブッシュ政権に加わるため、再び会社を離れた[3]

1991年にハンツマン・コーポレーションに復帰した。同社の上級副社長およびグループ会社ハンツマン化学国際部の統括本部長に就任し、1992年まで務めた。

1993年以降、ハンツマン・コーポレーション本社および関連企業の重要役職を歴任した。主たる役職として、ハンツマン癌財団理事、ハンツマン・ファミリー・ホールディングス最高経営責任者が挙げられる。

レーガン政権および大ブッシュ政権[編集]

1985年にレーガン政権に加わり、1987年までスタッフ補佐官として勤務した。

1989年に大ブッシュ政権が誕生すると、ハンツマンは政権に加わった。大ブッシュ政権において、国際通商局通商開発担当商務副次官補 (1989-1990) および東アジア太平洋担当商務副次官補 (1990-1991) を務めた[3]

1992年6月、大ブッシュはハンツマンを駐シンガポール大使に指名すると発表した。ハンツマンは同年8月に大統領から正式任命を受け、同年9月に信任状を奉呈し着任した。1993年6月に退任した[4]。当時32歳であり、過去100年でもっとも若い米国の大使であった[5]

ユタ州知事[編集]

ユタ州とニューデリーの医療拠点提携に関する覚書に署名を行うハンツマン

2004年、ユタ州知事選挙共和党から立候補した。対立候補の民主党スコット・マセソンを得票率57.7パーセント対41.3パーセントで下した[6]。2008年の選挙では対立候補の民主党ボブ・スプリングマイヤーを得票率77.6パーセント対19.7パーセントの大差で下した[7]

2005年1月から2009年8月までユタ州知事に就任。2期目の時にオバマ大統領から駐中国大使に任命され州知事を辞任した。[8]

在任中、世論調査機関ピュー・リサーチ・センターは最も優れた州統治者としての評価をハンツマンに与えた[9]

駐中国大使[編集]

2009年5月16日、バラク・オバマ大統領はハンツマンを駐中国大使に指名すると発表した[10][11][12] [13]。2010年12月、公電で「中国が喧嘩早い外交姿勢のために世界中の友人を失っている」と送っていたことがウィキリークスの漏洩文書により明らかとなった。2009年8月から2011年5月まで駐中国大使を務めた。2011年1月31日、駐中国大使を4月30日付けで辞任する旨をオバマ大統領に届け出た[14]

2012年共和党大統領候補予備選挙[編集]

2008年末頃から、2012年の共和党大統候補に出馬するのではないかとたびたび報道されていた。[15][16]。2010年8月にはハンツマンが出馬した際に資金を援助する政治活動委員会"Horizon PAC"を支持者が立ち上げている。[17]。ハンツマンは2011年5月3日に、この"Horizon PAC"を彼公認の政治活動委員会として連邦選挙管理委員会に申請した。[18]。 5月18日、選挙対策本部をフロリダ州オーランドに開設。6月21日ニューヨークのLiberty State Parkで自由の女神像を背にして共和党大統領候補としての出馬を正式に表明した。[19]。2012年1月、2012年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙からの撤退を表明。ミット・ロムニー候補の支持を表明。

政治的姿勢[編集]

共和党員の中では穏健主義者であり、駐中国大使時代はオバマ民主党政権のために努力を惜しまず務めた。 [20]

ユタ州知事として、経済成長、医療制度改革、教育、安全保障を率先して着手した。また、消費税率を下げるなど、多岐にわたる減税措置や、急激な人口増加に対応できるように公共サービスの再編を推進した。 [21]

2008年、ケイトー研究所はハンツマンの税政策を全米で総合5位と査定した。特に減税面で全50州の中で最高得点となった。特に消費税の減税と、税法を単純化したことが評価された。 [22]

ハンツマンは同性愛者の権利を認めるよう訴えているが、同性間の結婚は支持していない。[23][24]

2007年5月、ハンツマンは、地球温暖化に関する条約theWestern Climate Initiativeに署名した。これによりユタ州は他の参加州と連携して、温室効果ガス排出量を2020年までに2005年より15%削減するなどの目標達成を目指す。[25] 11月には環境保護団体ENVIRONMENTAL DEFENSE FUNDの広告に出演し、「そろそろ連邦議会も温室効果ガスの排出削減に向けて行動を起こすべきだ」と呼びかけた[26]

北朝鮮に関しては「中国と綿密に協力して、核兵器開発を止めさせなくてはならない」と発言している。[27]


私生活[編集]

ハンツマンはユタ州移民7世である。母方の祖父デイヴィッド・ヘイト末日聖徒イエス・キリスト教会の教徒であり、十二使徒定員会の会員として仕えていた。ハンツマンもまた、家族ぐるみで同教会の敬虔な教徒であった。ハンツマンは大家族の家系に育ち、兄弟姉妹が8人、甥姪が60人超いた。ハンツマン自身も、妻メアリー・キャサリン・クーパー (Mary Katherine Cooper) との間に子供を5人もうけた。ハンツマン夫妻は加えて、中国およびインドから養子をそれぞれ1人ずつ迎え入れた。

  1. メアリー・アン・ハンツマン (Mary Ann Huntsman, 1985-)
  2. アビゲイル・ハンツマン (Abigail Huntsman, 1988-)
  3. エリザベス・ハンツマン (Elizabeth Huntsman, 1989-)
  4. ジョン・ハンツマン (Jon Huntsman, 1991-)
  5. ウィリアム・ハンツマン (William Huntsman, 1993-)
  6. グレイシー・メイ・ハンツマン (Gracie Mei Huntsman, 2000-) - 中国からの養子
  7. アーシャ・バーラチ・ハンツマン (Asha Bharati Huntsman, 2006-) - インドからの養子

参考文献[編集]

  1. ^ Utah GOP governor is Obama's pick as China envoy(英語) - Darlene Superville, Associated Press, 2009-05-16.
  2. ^ Utah's GOP Governor Chosen as China Envoy(英語)
  3. ^ a b Nomination of Jon M. Huntsman, Jr., To Be United States Ambassador to Singapore(英語) - Public Papers, The Museum at the George Bush Presidential Library, 1992-06-17.
  4. ^ U.S. Chiefs of Mission to Singapore(英語) - U.S. Department of State.
  5. ^ Utah Governor Jon Huntsman, Jr.”. Governor's Information. National Governors Association. 2011年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月31日閲覧。
  6. ^ “Utah election results 2004”. The Washington Post. (2004年11月24日). http://www.washingtonpost.com/wp-srv/elections/2004/ut/ 2009年5月31日閲覧。 (英語)
  7. ^ Utah Election Results (英語)
  8. ^ Tmpa Bay Times, PolitiFact.com
  9. ^ The New Faces of the GOP (英語) New York Daily News May 11, 2009
  10. ^ Obama names Huntsman ambassador to China(英語) - Deseret News, 2009-05-16.
  11. ^ Governor Huntsman to resign and accept Obama appointment(英語) - ABC 4 News, 2009-05-19.
  12. ^ Obama naming Huntsman ambassador to China(英語) - Politico, 2009-05-16.
  13. ^ Huntsman and Herbert announce transition plans(英語) - ABC 4 News, 2009-05-18.
  14. ^ Jon Huntsman to resign from Obama administration(英語) - Washington post 2011,1,31 
  15. ^ Cheney says GOP presidential bench still strong,(英語) - 2009,6,29CNN
  16. ^ Jon Huntsman Jr, "The Fix"(英語) - Washington Post The Rising 2008,12,9
  17. ^ The 2012 Dark Horse? crisis magazine 2011,3,31
  18. ^ Jon Huntsman Takes Step Toward 2012 Bid Politico 2011,8,10
  19. ^ Huntsman Announces Run for President New York Times 2012,1,13
  20. ^ Jon Huntsman Staff Choice Suggests The Direction His Campaign Will Take, Huffington Post 2011,2,11
  21. ^ In the Hunt New York News&Features 2009,1,9
  22. ^ Fiscal Policy Report Card on America’s Governors: 2008 Cato Institute 2008,10,20
  23. ^ Huntsman’s civil-union stance may prove political liability, Robert Gehrke, Salt Lake Tribune 2010,5,11
  24. ^ And Huntsman's - Surprise The Atlantic 2011,5,7
  25. ^ [http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0616.pdf排出量取引をめぐる動向 ―地球温暖化対策の推進に向けて― ] 国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 616 2008,6,5
  26. ^ Huntsman appears in climate ad - Desert News 2007,11,16
  27. ^ "Hoklo-speaking diplomat aims for realistic PRC ties" - The Taipei Times 2009,7,29

外部リンク[編集]

外交職
先代:
ロバート・オア
在シンガポールアメリカ合衆国大使
1992年9月22日 - 1993年6月15日
次代:
ラルフ・ボイス
(代理公使)
先代:
ロバート・オア
在中華人民共和国アメリカ合衆国大使
2009年8月11日 - 2011年4月30日
次代:
ゲイリー・フェイ・ロック
公職
先代:
オーリーン・スミス・ウォーカー
ユタ州知事
2005年1月3日 - 2009年8月11日
次代:
ゲーリー・R・ハーバート