ジョン・マチン

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ジョン・マチン
人物情報
生誕 1680年
イングランド
死没 1751年6月9日
ロンドン、イングランド
国籍 イングランド
学問
研究分野 数学天文学
研究機関 グレシャム大学 (Gresham College)
主な指導学生 ブルック・テイラー
主な業績 マチンの公式
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ジョン・マチン英語John Machin, 1680年頃洗礼 - 1751年6月9日[1] はグレシャム大学 (Gresham College) の天文学教授であり、王立協会特別研究員であった。今日ではマチンの公式円周率 π に素早く収束する級数を見出したことでよく知られる。マチンは1706年にこの方法を発見し、更に円周率を 100 桁まで計算した。

\frac{\pi}{4} = 4 \cot^{-1}5 - \cot^{-1}239.

マチンの公式[2]グレゴリー - ライプニッツ級数 (ライプニッツの公式として知られる)

\frac{\pi}{4} = \arctan\left(1\right),

の変種であり、この新しい公式によって、ライプニッツの公式などに比べて非常に収束が速く、より実用的な計算公式が作られるようになった。

円周率 π の計算をするために、マチンは彼の公式から逆正接関数 arctan のテイラー展開を用いた。ブルック・テイラーはマチンのケンブリッジ大学、セント・ジョンズ・カレッジ (St. John's College) での教え子であった。マチンの公式はその後、数世紀に渡って、計算機の時代まで、円周率探求家達の基本的な道具として用いられ続けた。

マチンの公式と類似の公式も様々なものが知られている (Machin-like formula およびマチンの公式内の「マチンの公式の類似」の項を参照)。

ジョン・マチンは1718年から 1747年まで王立協会の書記を務めた。また彼は、ゴットフリート・ライプニッツアイザック・ニュートンの間に起こった論争 (微分積分学論争、Leibniz–Newton calculus controversy) の裁決を行った委員会の一人でもあった。裁決は1712年に執り行われた。

1728年、マチンはイーフレイム・チェンバーズによる『サイクロペディア、または諸芸諸学の百科事典』(Cyclopaedia, or Universal Dictionary of Arts and Sciences) への出資者の一人として名簿に記載されている[3]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Anita McConnell, ‘Machin, John (bap. 1686?, died 1751)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004. Accessed 26 June 2007. doi:10.1093/ref:odnb/17533
  2. ^ Machin's Formula at MathWorld
  3. ^ List of Subscribers to the Cyclopaedia at library.wisc.edu

外部リンク[編集]

ウィキソースのロゴ ウィキソースにはジョン・マチン著の原文があります。