ジョン・ヘンリー・イートン

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ジョン・ヘンリー・イートン

ジョン・ヘンリー・イートン(John Henry Eaton, 1790年6月18日 - 1856年11月17日)は、アメリカ合衆国政治家1829年から1831年まで第13代アメリカ合衆国陸軍長官を務めた。

生涯[編集]

1790年6月18日、イートンはノースカロライナ州ハリファックス郡スコットランド・ネックにおいて誕生した。イートンは1807年ノースカロライナ大学に入学し、法律を学んだ。1808年、イートンはテネシー州に移り、父が所有していたウィリアムソン郡フランクリンの土地に居住した。1812年米英戦争では一兵卒としてアメリカ陸軍に参加した。

イートンは1815年から1816年までテネシー州下院議員を務めた。イートンはその後1817年アンドリュー・ジャクソンについての伝記 The Life of Andrew Jackson, Major General in the Service of the United States を刊行し、またフロリダ半島の土地へ登記を行った。1818年、イートンは州議会において空席充当のため連邦上院議員に選任された。イートンは1821年の改選でも再任を受け、1829年まで連邦上院議員を務めた。合衆国憲法には連邦上院議員は30歳以上で無ければならないとする規定があったが、上院議員就任当時のイートンの年齢は28歳であった。これは、当時の周囲の人々がイートンの年齢記録を実際に確認していなかったために起こった出来事であった。30歳未満で連邦上院議員に就任したのは、イートンの他にはバージニア州選出のアーミステッド・トムソン・メイソンとケンタッキー州選出のヘンリー・クレイだけである。

1829年アンドリュー・ジャクソン大統領に就任すると、イートンはジャクソン大統領から陸軍長官に任命された。イートンはしばしば、郵政長官エイモス・ケンドールとともに非公式の政策集団「キッチン・キャビネット」の一員として、風刺的に言及された。1831年、イートンの妻マーガレット・オニール・イートンを新政権の閣僚夫人に認めるかで、閣僚内での対立が勃発した(ペティコート事件英語版)。結局、イートンはこの事件の責任を取る形で陸軍長官を辞任した。

1833年、イートンは連邦上院議員に立候補したが、敗北した。イートンは1834年から1836年までフロリダ準州知事を、1836年から1840年まで駐スペイン公使を務めた。

1856年11月17日、イートンはワシントンD.C.で死去した。イートンの遺体はワシントンD.C.のオークヒル墓地に埋葬された。

栄誉[編集]

以下の地名は、イートンにちなんで名づけられた。

外部リンク[編集]

公職
先代:
ピーター・ビューエル・ポーター
アメリカ合衆国陸軍長官
1829年3月9日 - 1831年6月18日
次代:
ルイス・カス
先代:
ウィリアム・ポウプ・デュヴァル
フロリダ準州知事
1834年4月24日 - 1836年3月16日
次代:
リチャード・キース・コール
外交職
先代:
コーネリアス・ピーター・ヴァン・ネス
在スペインアメリカ合衆国特命全権公使
1837年2月1日 - 1840年5月1日
次代:
アーロン・ヴェイル