ジョン・バナザック

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ジョン・バナザック

John Banaszak  No. 76

ディフェンシブタックル
生年月日:1950年8月24日(64歳)
出身地:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド
身長:6' 3" =約190.5cm 体重:242 lb =約109.8kg
NFLデビュー
1975年ピッツバーグ・スティーラーズ
経歴
大学東ミシガン大学
ドラフト外(1975年
 所属チーム:
通算成績
(1981年までの成績)
出場試合数     91試合
ファンブルリカバー     5回
インターセプト     1回
pro-football-reference.comよりの成績
受賞歴・記録

ジョン・バナザック(John Banaszak 1950年8月24日 - )は、オハイオ州クリーブランド出身のアメリカンフットボール選手。NFLピッツバーグ・スティーラーズなどでプレーした。ポジションはディフェンシブタックル第10回第13回第14回スーパーボウルと3回のスーパーボウルで優勝している[1]

経歴[編集]

祖父、父が鉄鋼業に従事する家庭で育った[2]東ミシガン大学から、NFLドラフトでは指名を受けず、1975年にドラフトフリーエージェントピッツバーグ・スティーラーズと契約を結んだ。地元クリーブランドのチーム、クリーブランド・ブラウンズAFC中地区のライバルである、スティーラーズとの契約を父親に電話で告げた際、いったんは電話を切られ、かけ直した際、母親に何と伝えれば良いのか。と愚痴を言われた[2]

1979年、序盤ドワイト・ホワイトに代わり先発出場し、第2週のヒューストン・オイラーズ戦では2サック、1インターセプトをあげた[2]

スティーラーズで3回の優勝を経験した後、1981年シーズンを最後に現役を引退した[1]

その後、1983年に設立されたUSFLのチーム、ミシガン・パンサーズで2シーズン、1985年にはメンフィス・ショーボーツでプレーした[1]

現役引退後、1995年にディビジョンIIIに所属するワシントン・アンド・ジェファーソンカレッジのディフェンスコーディネーターに就任、1999年にヘッドコーチに昇格した。2002年に同大学のヘッドコーチを辞任した[3]

その後、ジョー・ウォルトンの下でピッツバーグにあるロバート・モリス大学のアシスタントコーチとなった[4]

2009年4月23日、深刻な状態で入院した。当初動脈瘤と報道されたが、その後、首の痛みに対してアスピリンの過剰摂取を行ったことによると訂正された[4]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c Rich Emert (2006年10月30日). “Q&A: John Banaszak: A three-time Super Bowl champion with the Steelers, he stays in the game as a college coach”. ピッツバーグ・ポスト=ガゼット. 2012年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c アメリカズゲーム 〜スーパーボウルチャンピオンズ〜 第14回スーパーボウル
  3. ^ Former Steeler fired as W&J coach: Uncertainty spelled doom for Banaszak”. AP通信 (2002年12月14日). 2012年11月30日閲覧。
  4. ^ a b Luis Fábregas (2009年4月25日). “Former Steelers DE Banaszak recovering”. TRIB LIVE. 2012年11月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]