ジョン・コッククロフト

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Sir John Cockcroft
ジョン・コッククロフト
生誕 (1897-05-27) 1897年5月27日
イギリスの旗 イギリス ヨークシャー
死没 1967年9月18日(1967-09-18)(70歳)
イギリスの旗 イギリス ケンブリッジ
国籍 イギリスの旗 イギリス
論文 On phenomena occurring in the condensation of molecular streams on surfaces (1928)
指導教員 アーネスト・ラザフォード
主な受賞歴 ノーベル物理学賞(1951)
ロイヤル・メダル(1954)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1951年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:加速荷電粒子による原子核変換の研究

サー・ジョン・コッククロフト(Sir John Douglas Cockcroft、1897年5月27日 - 1967年9月18日)は、イギリスの物理学者である。原子核陽子を衝突させることにより、核変換を初めて実現した。1951年アーネスト・ウォルトンノーベル物理学賞を受賞した。

生涯[編集]

トッドモーデンに生まれた。マンチェスター大学で数学を学び、ケンブリッジ大学のセントジョンズ・カレッジで数学の学位をとったあと、アーネスト・ラザフォードのもとで研究を始めた。

1928年からアーネスト・ウォルトンと陽子の加速実験を始めた。1932年リチウムに加速した陽子を衝突させて、原子核の変換に成功した。元素を人工的に別の元素に変換させた最初の実験である。彼らの加速器に用いられていたコッククロフト・ウォルトン回路は、高電圧の直流を発生させる手段として、物理実験以外にも多くの応用を生んだ。1936年王立協会フェロー選出。

第二次大戦中はレーダーの分野で働いた後、1944年にカナダの原子力プロジェクトに加わり、モントリオール研究所、チョーク・リバー研究所の所長となった。1946年にイギリスに戻り ハーウェル研究所を設立し、イギリスの原子力利用を推進した。AERE( Atomic Energy Research Establishment)の初代の所長となった。1959年からチャーチル・カレッジ(ケンブリッジ大学)学長、1961年からオーストラリア国立大学総長(併任)を歴任した。1960年から2年間、英国物理学会の会長を務めた。

主な受賞歴[編集]

1946年にアメリカ自由勲章(Medals of Freedom 1945年)英語版を授与された。左からウィリアム・ペニーオットー・ロベルト・フリッシュルドルフ・パイエルス、ジョン・コッククロフト。 

外部リンク[編集]

学職
先代
-
英国物理学会会長
1960年 - 1962年
次代
Alan Herries Wilson