ジョン・グールド・ヴィーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・グールド・ヴィーチ

ジョン・グールド・ヴィーチ(John Gould Veitch、1839年4月 – 1870年8月13日)はイギリスの園芸家プラントハンターである。19世紀最大の植物商、ヴィーチ家の一員で、1860年から日本にも訪れた。

生涯[編集]

エクセターに生まれた。ヴィーチ園芸(Veitch Nurseries)の設立者、ジョン・ヴィーチ(John Veitch、1752年-1839年)のひ孫である。父親はロンドン支社のヴィーチ商会(Veitch and Sons)の経営者、ジェームズ・ヴィーチ・ジュニアで、兄弟にハリー・ジェームズ・ヴィーチ、アーサー・ヴィーチがいる。

プラントハンターとして、1860年から1862年の間、日本中国フィリピンを訪れた。1859年に日本の開港が報じられると、ヴィーチは1860年4月にイギリスを出港し、香港広東上海を経由して長崎に7月に来航した。日本ではイギリス領事ラザフォード・オールコックに誘われて、西洋人として初めての富士登山に参加し[1] 、日本で初めて富士山の植生分布を調べ、イギリスの園芸雑誌ガーデナーズ・クロニクルに2年間にわたり報告した。1864年から1866年にはオーストラリアポリネシアを訪れた。多くの植物をイギリスに持ち帰った。日本からイギリスへ運ばれた植物はもう1人の有名なプラントハンター、ロバート・フォーチュンの収集した植物と同じ船で運ばれ、サワラChamaecyparis pisifera)の発見の先取権を争った。

イギリスに帰国後、結婚し2人の息子をもうけるが、31歳で結核で没した。

参考文献[編集]

  • James H.Veitch (1906). "Stove and Greenhouse Plants". Hortus Veitchii: a history of the rise and progress of the nurseries of Messrs. James Veitch and sons, together with an account of the botanical collectors and hybridists employed by them …. J. Veitch & sons.. p. 295.
  1. ^ 『プラントハンター東洋を駆ける―日本と中国に植物を求めて』アリス・M. コーツ (著) 遠山 茂樹 (訳)、八坂書房 (2007/09) ISBN 489694898X

外部リンク[編集]