ジョン・クーリッジ・アダムズ
| ジョン・クーリッジ・アダムズ John Coolidge Adams |
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|---|---|
撮影:Deborah O'Grady
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| 基本情報 | |
| 出生 | 1947年2月15日 |
| ジャンル | ミニマル・ミュージック |
| 職業 | 作曲家 |
| クラシック音楽 |
|---|
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| 作曲家 |
| ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
| 音楽史 |
| 古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
| 楽器 |
| 鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
| 一覧 |
| 作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
| 音楽理論/用語 |
| 音楽理論 - 演奏記号 |
| 演奏形態 |
| 器楽 - 声楽 宗教音楽 |
| イベント |
| 音楽祭 |
| メタ |
| ポータル - プロジェクト カテゴリ |
ジョン・クーリッジ・アダムズ(John Coolidge Adams、1947年2月15日 - )はアメリカ合衆国の作曲家。「ミニマル・ミュージック」を提唱する作曲家の一人である。アメリカには「ジョン・アダムズ」と言う作曲家が2人いるが、一般に「ジョン・アダムズ」と言えばジョン・クーリッジ・アダムズを指し、もう1人のジョン・ルーサー・アダムズはミドルネームも表記して区別されている。
目次 |
[編集] 経歴
マサチューセッツ州ウースターの出身。1971年にハーヴァード大学にてレオン・キルシュナーに学ぶ。カリフォルニア州に移って10年間サンフランシスコ音楽院で教鞭と指揮棒を執り、その革新的な演奏会が評価されサンフランシスコ交響楽団の音楽顧問(現代音楽部門)に就任、続いて1979年から1985年まで常勤作曲家に選ばれる。その間に『ハルモニウム』や『和声学』といった成功作によって、作曲家として名を挙げた。ニュー・アルビオンやECMといったレーベルによる録音に相次いで、1986年にはノンサッチ・レコーズと契約し、その関係は今日まで続いている。
[編集] 主要作品
*年号は発表年、括弧内は編成またはスタイル
- 1973年 - アメリカン・スタンダード American Standard(アンサンブル)
- 1974年 - Ktaadn(合唱)
- 1977年 -中国の門 China Gates(ピアノ)
- 1977年 - フリギアの門 Phrygian Gates(ピアノ)
- 1978年/1983年) - シェイカー・ループス Shaker Loops(弦楽六重奏)
- 1980年 - ハルモニウム Harmonium(合唱 / 合唱とオーケストラ)
- 1983年 - 水上の光 Light Over Water(テープ音楽)
- 1984年 - 和声学(ハルモニーレーレ) Harmonielehre(管弦楽)
- 1985年 - 歌劇《中国のニクソン》Nixon in China(オペラ)
- 1986年 - 2つのファンファーレ Two Fanfares(管弦楽)
- トロンバ・ロンターナ Tromba Lontana
- ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン Short Ride in a Fast Machine
- 1988年 - 恐怖のシンメトリー Fearful Symmetries(管弦楽)
- 1991年 - エル・ドラド El Dorado(管弦楽)
- 1991年 - 歌劇《クリングホファーの死》The Death of Klinghoffer(オペラ)
- 1992年 - 室内交響曲 Chamber Symphony(室内楽)
- 1993年 - ヴァイオリン協奏曲 Violin Concerto(管弦楽)
- 1995年 - ロード・ムービー Road Movies(ヴァイオリンとピアノ)
- 1995年 - 舞台音楽《天井を見つめていたら空が見えた》I Was Looking at the Ceiling and Then I Saw the Sky(合唱および室内楽)
- 2000年 - エルニーニョ El Niño(管弦楽)
- 2002年 - On the Transmigration of Souls (管弦楽、合唱とテープ)
- 2003年 - My Father Knew Charles Ives(管弦楽)
- 2005年 - 歌劇《原爆博士(ドクター・アトミック)》Doctor Atomic(オペラ[1])
- 2009年 - City Noir(管弦楽)
- より詳細な一覧は英語版を参照されたい。
[編集] 作品・作風
[編集] 概論
当初は、グラスやライヒ、ライリーのような純然たるミニマリストとして知られていたが、成熟期の作品においては、ミニマル・ミュージックが色彩的な和声のパレットと豊かな管弦楽法に結び付いた、新ロマン主義的傾向も見られ、その音楽は厳密には「ポスト・ミニマル[2]」と見なされる。そのため、作品には調性を感じさせるものが多く、『ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン』のように吹奏楽に編曲されて米国内で親しまれているものもある。
アダムズはポピュラー音楽を含む20世紀音楽の音楽語法を幅広く参照しており、初期の歌劇や、ウィットの利いた管弦楽曲『フィアフル・シンメトリーズ』ではストラヴィンスキーやオネゲルと、ビッグバンドのスウィングが折衷されており、近作の『My Father Knew Charles Ives』では、驚くべき独創性が発揮されている。
共通した特徴を持つのが、1993年1月に初演された『室内交響曲』である。これは、シェーンベルクの技巧がかった表現主義音楽を、カートゥーン・アニメ調の音楽に溶け込ませるという斬新なスタイルの作品で、現代音楽におけるアダムスの立ち位置を端的に示した作品である。この作品は大変な成功を見、40以上のアンサンブルによって演奏され(あるいは演奏が計画され)てきた。この作品によってアダムズは1994年にロイヤル・フィルハーモニック協会室内楽部門最優秀賞を得ている。
2002年にはアメリカ同時多発テロ事件の犠牲者の追悼として『On the Transmigration of Souls 』が作曲された。この作品は、合唱とオーケストラ、および犠牲者の名前を読み上げる声のサンプリング音のために書かれた作品で2003年にピューリッツァー賞音楽部門を獲得し、ロリン・マゼール指揮による初録音も2005年度グラミー賞の3部門に入賞している。
2003年6月にはBBC交響楽団提携芸術家に選ばれた。2004年11月23日にブリティッシュ・アカデミーよりロンドンのバービカンにおいて特別評議員に任命され、その後の音楽界では作曲者自身の指揮により、BBC交響楽団が『ハルモニウム』ほかの作品を演奏した。
[編集] 舞台作品
ジョン・アダムズの作品のうち、最も有名で最も広く言及される作品は、オペラ『中国のニクソン』である。これはヒューストン大歌劇場により1987年に初演され、1989年にグラミー賞現代音楽部門最優秀作品に輝いている。作品は、ニクソン大統領の中国訪問という現代史の場面をオペラハウスへ鮮やかに移し替えたもので、ポストモダンにおける全てのジャンルの舞台音楽にとって草分け的存在となった。初演版は監督をピーター・セラーズ、台本をアリス・グッドマン、振付けをマーク・モリスが担当し、セラーズ自身の演出でニューヨークを始め世界各地で上演が行われたのち、ヘルシンキ(フィンランド語上演)とビーレフェルト(ドイツ語上演)において新演出で上演。ロンドンやタリンにおいては演奏会形式でも上演が行われている。また、作品中の晩餐会の場面が管弦楽に編曲された『ザ・チェアマンダンス(The Chairman Dances)』も、アダムスの管弦楽曲の中では取り上げられる頻度が多い曲の一つである。
2作目の歌劇『クリングホファーの死』は、再びセラーズ、グッドマン、モリスの協力を得た作品で、ブリュッセル歌劇場において1991年に初演された。実際にあったシージャック事件を題材とし「ニューズウィーク」誌の評論家カトリン・エイムズによって「人の心を掻き立てる作品」と評価されたこの作品は、これまでにリヨン、ウィーン、ニューヨーク、サンフランシスコなどで上演されている。
次の舞台作品は、ピーター・セラーズと台本作家ジューン・ジョーダンとの共作、ソング劇『天井を見てたら空が見えた』である。7人の歌手と、舞台上の8人の器楽奏者のために作曲されている。初演は1995年5月にバークリーで行われ、欧米の各地で上演された。
3作目にして最新のオペラ、『原爆博士』もセラーズとの共作で、2005年10月1日に初演された。「原爆博士」とはロバート・オッペンハイマーを指し、作品はマンハッタン計画を通じた彼の心の葛藤を描いている。また、この作品から演奏会用の交響曲も編まれている[3]。
