ジョン・エドワーズ

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ジョン・エドワーズ
生年月日 1953年6月10日(61歳)
出生地 ノースカロライナ州セネカ
出身校 ノースカロライナ州立大学
ノースカロライナ大学チャペルヒル校
現職 弁護士
法律家
所属政党 民主党
配偶者 エリザベス・エドワーズ(離婚)[1]
サイン John Edwards Signature.svg

アメリカ合衆国上院議員
任期 1999年1月3日 - 2005年1月3日
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ジョニー・リード「ジョン」エドワーズJohnny Reid "John" Edwards, 1953年6月10日 - )は、アメリカ合衆国政治家ノースカロライナ州セネカ出身。

経歴[編集]

クレムゾン大学で学んだ後、ノースカロライナ州立大学で学ぶ。更にノースカロライナ大学チャペルヒル校で法律を学ぶ。法廷弁護士を経て、1998年にノースカロライナ州選出上院議員の民主党候補として出馬、共和党候補ローチ・フェアクロースを破り当選。

2004年大統領選ではジョン・ケリーと組んで副大統領候補となったが、共和党のジョージ・ウォーカー・ブッシュディック・チェイニーに敗れた。

2006年12月27日には2008年大統領選への出馬を表明したが民主党の予備選挙で1勝もできずに撤退、その後2008年5月にはバラク・オバマ候補支援を表明。

家族[編集]

学生時代に出会ったエリザベス・アナニアと1977年に結婚。ウェイドとケイトという二人の子供をもうけるが、息子のウェイドが16歳のときに交通事故で死去。夫婦は再び子供を持つことを決め、エリザベスが49歳のときにエマ・クレアを、51歳の時にジョンをもうけた。一家は現在ノースカロライナ州オレンジ郡に住んでいる。2008年8月8日、疑惑が取りざたされながらも否定を続けていた愛人スキャンダルについて認め謝罪を行ったが、隠し子疑惑については全否定した。しかし2010年1月21日、ナショナル・エンクワイヤラー紙の取材に対し、隠し子の父親が自分であると公式に認めた[2]。その後、32年間連れ添ってきた妻エリザベスと離婚を発表した[3]

しかし、離婚はしたもののエリザベスとの交流を完全に断ったわけではなかったようである。2010年12月6日に、エリザベスが長年続けてきたがんの治療を中止したことが公表された際には[4]、余命数週間と宣告された彼女のそばに、エドワーズも子供たちなどと共に付き添っていることが明らかになった[5]。エリザベスは治療中止が公表された翌日の12月7日乳がんのため死去した[6]

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.reuters.com/article/idUSTRE60Q65P20100127
  2. ^ [1]
  3. ^ ジョン・エドワーズ前議員夫妻が離婚、婚外子認めた直後かCNN.co.jp 2010年1月28日
  4. ^ 医師からがんが肝臓に転移しており、これ以上治療を続けても治癒の見込みがないと宣告されたため。
  5. ^ エリザベス・エドワーズのガン治療中止公表について報道するCNN政治班によるニュースブログ“political ticker…”の記事(2010年12月6日午後4時51分<アメリカ東部時間>投稿・2010年12月8日(日本時間)閲覧
  6. ^ エリザベスの死去を伝えるワシントン・ポスト紙電子版の記事(2010年12月7日午後5時25分<アメリカ東部時間>編集・2010年12月8日(日本時間)閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Record
Speeches and statements
  • July 27, 2004, Democratic National Convention speech: Transcript text
  • October 5, 2004, Vice Presidential Debate: Transcript text, Audio and Video
  • January 18, 2008, Presidential campaign speech in Los Angeles, California, video
議会
先代:
ローチ・フェアクロース
ノースカロライナ州選出上院議員(第3部)
1999–2005
同職:ジェシー・ヘルムズ, エリザベス・ドール
次代:
リチャード・バー
党職
先代:
テリー・サンフォード
ノースカロライナ州選出上院議員(第3部)
民主党候補

1998
次代:
アースキン・ボウルズ
先代:
ジョー・リーバーマン
民主党副大統領候補
2004
次代:
ジョー・バイデン