ジョルジュ・ユイスマン
| ジョルジュ・ユイスマン Georges Huisman |
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La Sélection française et Rendez-vous avec la Chance
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| 誕生 | 1889年 |
| 死没 | 1951年 ヴァル=ドワーズ県ヴァルモンドワ |
| 職業 | 歴史学者、政治家 |
| 国籍 | |
| 文学活動 | カンヌ国際映画祭 |
| 子供 | ドニ・ユイスマン |
ジョルジュ・ユイスマン(Georges Huisman, 1889年 - 1951年)は、フランスの歴史学者、アグレジェ(歴史学)、政治家である。カンヌ国際映画祭を創設し、1946年(昭和21年)の第1回以降、1949年(昭和24年)の第3回まで連続で審査委員長を務めた。
目次 |
人物・来歴 [編集]
1889年(明治22年)に生まれる。
1929年(昭和4年)、息子のドニが生まれる。
商務省の内閣書記官長、ついで、ポール・ドゥメール元老院議長の官房長官を務めている。ドゥメールが1931年(昭和6年)に共和国大統領に選ばれたときに、ユイスマンは官房長官に留まった。ドゥメールが暗殺された後、アルベール・ルブランが大統領に当選し、ユイスマンは、エコール・デ・ボザール学長としての業務を待機している期間に、アンドレ・マーグルに代わって元老院議長の官房長官に就任した。
その後、急進社会党のエドゥアール・ダラディエ内閣のもとでは、ジャン・ゼーによってエコール・デ・ボザール学長としての実務を執行するよう選択された。ユイスマンはフランス国内における映画の普及に協力し、とくに1939年(昭和14年)には、「カンヌ国際映画祭」を創設し、実現に取り組んだが、同年、ドイツのポーランド侵攻が起き、戦況を鑑みて断念した。1940年(昭和15年)には、マシリア号に乗り込んでいる。
マルセイユへの帰還し、ルイ=シャルル・ベレーの協力を得て、アルビ近くの農家で18か月間隠れ住んだ。1942年(昭和17年)にドイツ軍によって捕縛されたが、小説家のロラン・ドルジュレスに救出された。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、第1回カンヌ国際映画祭を開催することができ、ユイスマンは審査委員長に就任した。翌1947年(昭和22年)の第2回、1949年(昭和24年)の第3回でも、審査委員長を務めた。
1951年(昭和26年)、ヴァル=ドワーズ県ヴァルモンドワで死去した。満61-62歳没。同年4月3日から開催された第4回カンヌ国際映画祭の審査委員長には、小説家のアンドレ・モーロワが務め、以降は毎年新しい審査委員長が選出されることとなった。
おもなビブリオグラフィ [編集]
- Art et esthétique, Melinc, 152 p., 1923.
- Pour comprendre les monuments de Paris, Paris, Hachette, 1925.
- Histoire générale de l'art, Dir., Paris, Aristide Quillet, 4 volumes, 1938.
- Récits et épisodes de la Révolution française, avec Marcelle Huisman, Paris, Fernand Nathan, 1962 / 1991, Trésors des provinces de France, ISBN 2092045229
- Contes du Moyen-Âge français, avec Marcelle Huisman, Paris, Nathan, 1958 / 2003, Pocket junior mythologies, ISBN 2266065270
関連事項 [編集]
- 第1回カンヌ国際映画祭
- ヴァルモンドワ (en:Valmondois)
- ドニ・ユイスマン (fr:Denis Huisman)
- ポール・ドゥメール (en:Paul Doumer)
- ジャン・ゼー (en:Jean Zay)
- マシリア号 (fr:Massilia (paquebot))
- ルイ=シャルル・ベレー (fr:Louis-Charles Bellet)
- ロラン・ドルジュレス (en:Roland Dorgelès)
註 [編集]
- Georges Huisman par quelques uns de ses amis, Georges Huisman, 1950