ジョルジェ・カラジョルジェヴィチ

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セルビア王太子ジョルジェ、1906年
ジョルジェ王太子、1909年の公式肖像画

ジョルジェ・カラジョルジェヴィチセルビア語:Ђорђе Карађорђевић, 1887年8月27日 - 1972年10月17日)は、セルビアペータル1世とその妻でモンテネグロニコラ1世の娘であるゾルカの長男で、セルビア王太子(1904年 - 1909年)。ユーゴスラビア王アレクサンダル1世の兄。

生涯[編集]

ジョルジェはモンテネグロの首都ツェティニェで生まれたが、幼い頃に同国の王女である母ゾルカが亡くなったため、父や姉弟と一緒にジェノヴァロシアを転々とする生活を送った。

ジョルジェがロシアのアレクサンドル2世陸軍士官学校で学んでいた頃の1903年、故国セルビアで宮廷クーデタが起こり、オブレノヴィチ家の国王夫妻が軍の将校たちによって暗殺された。将校たちは新たな国王としてカラジョルジェヴィチ家の家長である父ペータル1世を迎えたので、ジョルジェもこれに伴いセルビア王太子とされた。しかしジェルジェは1909年、腹を立てて自分の召使を蹴り殺す事件を起こし、王位継承者の地位を弟アレクサンダルに譲ることを余儀なくされた。

ジョルジェは廃嫡後もセルビアに残り、バルカン戦争第一次世界大戦でもセルビア軍に従軍、1914年には戦場で重傷を負っている。

父ペータルが1921年に死んで弟アレクサンダル1世が即位すると、本来の王位継承者だったジョルジェと国王の兄弟対立は深まっていった。アレクサンダル1世は1925年ついに兄ジョルジェを逮捕し、ジョルジェは精神錯乱であるとの宣告を受けてニシュ近郊の精神病院に幽閉された。アレクサンダル1世が1934年に暗殺されると、ジョルジェは新しく摂政となった従弟パヴレによって解放されるだろうと期待していたが、パヴレは彼を幽閉し続けた。ジョルジェは第二次世界大戦が始まり、ユーゴスラビアを占領したドイツ軍によって解放された。

第2次大戦後、共産主義政権の指導者ヨシップ・ブロズ・チトーはカラジョルジェヴィチ王家の者全員を国家の敵と宣言したが、王家の成員の中でジョルジェのみは国内に留まることを許され、ベオグラードに隠棲した。1947年、60歳のジョルジェはラドミラ・ラドミッチ(1907年 - 1993年)と結婚したが、夫妻の間に子供はなかった。

ジョルジェは1972年にベオグラードで亡くなり、トポラのオプレナツにある聖ジョルジェ教会の、セルビア王家の墓所に葬られた。