ジュール・ド・ポリニャック

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ジュール・ド・ポリニャック

ジュール・オーギュスト・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(Jules Auguste Armand Marie, prince de Polignac, 1780年5月14日 - 1847年3月2日)は、フランス王党派政治家、貴族。極端な反動政治を行ったフランス復古王政期の首相。

生涯[編集]

ヴェルサイユポリニャック伯爵夫人の次男として生まれる。フランス革命が勃発すると一族とともにオーストリアに亡命、その地で母は急死した。以後、反革命運動に荷担し、ナポレオン暗殺の陰謀にも加わった。王政復古で帰国、ルイ18世のもとでロンドン駐在大使となるが、専らアルトワ伯の側近として、超王党派の中心人物として活動した。

1824年にアルトワ伯がシャルル10世として即位すると、1829年に外相となり、中道派のマルティニャックが辞任させられると首相に任命された。折からフランス経済は農産物の不作と深刻な不況に陥っており、労働者やブルジョワ階級を中心に王政への不満が高まっていった。ポリニャックは国民の不満をそらすため1830年6月にアルジェリア侵略を実施する一方で、7月には「七月勅令」を打ち出した。これは、報道の自由の制限、下院の解散、4分の3の有権者からの投票権の剥奪、新しい有権者による下院選挙の実施という「4つの制限」を国民に課し、フランスを絶対主義の時代に戻そうというものであった。ここにいたって国民の怒りも頂点に達し、1830年に七月革命が勃発した。このとき逮捕されて終身刑を言い渡されたが、のちに大赦でイギリスに渡り、1847年に帰国してパリで没した。

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