ジューヌ・エコール

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ジューヌ・エコール(仏語:Jeune École、新生学派もしくは青年学派)は、19世紀に提唱された海軍戦略思想。大規模な戦艦艦隊に対抗するために強力な武装を有する小型艦を使用することと、他国の貿易を遮断する通商破壊が特徴である。この考えはフランス海軍の理論家によって考案された。フランスは当時世界2位の海軍を有していたが、世界最大の海軍であるイギリス海軍への対抗手段を思案していた。

戦艦に対抗する小型艦[編集]

清仏戦争の馬江沖海戦で福建艦隊旗艦揚武に肉迫攻撃するフランス海軍の外装水雷艇46号。Charles Kuwasseg画、1885年
1900年のフランス潜水艦Narval

1820年代にアンリ=ジョセフ・ペクサン(Henri-Joseph Paixhans)は炸裂弾を発射可能な艦砲であるペクサン砲を開発したが、この強力な砲を多数の小型蒸気軍艦に搭載することにより、より大型の戦列艦を破壊できると考えた。またアメリカ南北戦争における南軍の私掠船アラバマ(CSS Alabama)の活躍は、通商破壊の有効性を示すものであった[1]

ジューヌ・エコールの祖とも言えるフランス海軍のグリーヴェル大佐(Louis-Antoine-Richild Grivel、1827年-1883年)は、1869年に出版した本で新兵器の開発と通商破壊が対英国の戦略として有効であると発表した[2]。この考えは後にジューヌ・エコールの指導的立場となったテオフィル・オーブ提督に引き継がれた。オーブは戦争の目的は「敵に最大限の苦痛を与えること」であり「敵艦隊を撃滅することは重要ではない」としたが、これは従来の考えと全く異なるため、彼の一派はジューヌ・エコール(新生学派)と呼ばれることとなる[3]

すでに水雷や外装水雷艇は実現しつつあり、また自走式の魚雷の発明により、理論はさらに精巧なものとなった。オーブ提督は1882年に『海軍の戦争とフランスの軍港("La guerre maritime et les ports militaires de la France")』と題する38ページのパンフレットを出版した[4]。この中で彼は「新技術の開発、例えば魚雷を用いることにより、敵の海上封鎖を無効化できる。従って、戦艦を作るよりも[5]、海岸線を守るために多くの水雷艇、沿岸警備艦、体当たり艦等の小艦艇を持つべきである。攻撃に関しては、巡洋艦を用いた通商破壊を行うべきで、何れの場合でも、高速の艦艇が必要である」と主張した。1883年-1885年の清仏戦争におけるフランス海軍の勝利は、従来の海軍に対する水雷艇の可能性を実証するものと思われた[6]

やがてジューヌ・エコールは、政治家やマスコミも巻き込んだ論争となっていった。1886年1月7日にオーブは海軍大臣に任命されたが、これはオーブの思想が認められたと言うよりは、政治判断であった[7]。海軍大臣となったオーブは早速彼の思想の実現を試みた。1861年2月にはシェルブールからジブラルタル海峡を廻ってツーロンまで水雷艇を航海させたが、全長33m程度の水雷艇では外洋を航行するのは困難であった。同年5月と6月には、8隻の戦艦からなる攻撃側を、20隻余の水雷艇(3隻の巡洋艦と1隻の海防戦艦が支援)で阻止する演習が行われた。攻撃側はツーロンを艦砲射撃することには成功したが、大半が撃沈判定を受けた。これにより、大型艦による近接封鎖が不可能であることが証明された。同年12月、オーブは、「1) 戦艦は全てツーロンに配備し地中海ではイタリア海軍に対して攻勢に出る、2) 英仏海峡では守勢に徹する、3) 大西洋において通商破壊を実施する」と戦略を変更した[8]

フランスはまた、潜水艦の開発にも熱心であった。これもまた、イギリス海軍に戦艦の数で劣るところを、技術開発で対抗しようとするものであった。海軍大臣就任後3ヶ月目に、オーブは最初の電池推進潜水艦であるジムノートの建造を認めた。20世紀の初めまでに、フランス海軍は「疑いなく実用的な潜水艦戦力を有した最初の海軍」となった[9]

なお、水雷艇から大型艦を守るために「水雷艇駆逐艦」が考案されたが、やがて水雷艇駆逐艦自体が魚雷を装備するようになり、「駆逐艦」が誕生した。その最初の例が、スペイン海軍のデストラクター(Destructor)であった。駆逐艦はある程度の外洋航行能力を持っており、外洋においても魚雷攻撃が可能になった。

19世紀末まで、フランス海軍はこの戦闘システムの最も強力な支持者であった[10]。1898年のファショダ事件において、ジューヌ・エコールに基づくフランス海軍は無力であったことから、1900年には新たな戦艦の建造を含む従来型の艦隊の建設が認められた。しかし、1902年にカミーユ・ペルタン(Camille Pelletan)が海軍大臣に就任すると、カミーユ・ペルタンが設立と設計に関わった日本海軍とその艦艇が日清戦争で活躍した事や、戦艦ブーヴェが触雷により失われた事等を根拠に再びジューヌ・エコールは復活した[11]。この思想が捨てさられたのは日露戦争で戦艦の有用性が確認されたかなり後であったが、結果としてフランス海軍は戦艦数においてドイツにも劣ることとなり、第一次世界大戦でもほとんど活躍できなかった。

通商破壊[編集]

世界初の装甲巡洋艦であるフランス海軍のデュピュイ・ド・ローム

ジューヌ・エコールの他の構成要素は、敵の通商と経済を縮小させるために一般商船を攻撃する通商破壊であり、これも英国への対抗戦術として考えられた。

23ノットの速力を誇り、敵海軍の船団護衛艦との近接戦闘でも戦闘能力を喪失し難い、デュピュイ・ド・ロームのような装甲巡洋艦がこの目的のために設計され、1888年に着工されている。

影響[編集]

ジューヌ・エコールは、自軍の戦艦戦力が弱体である場合の対応策として、19世紀の弱小海軍の発展に特に影響を与えた。大日本帝国海軍は、ルイ=エミール・ベルタンの影響により、ジューヌ・エコールに基づいて整備された艦隊で日清戦争を戦い、勝利した。

脚注[編集]

  1. ^ Dahl, p113
  2. ^ Dahl, P114
  3. ^ Dahl, p114
  4. ^ "La Guerre maritime et les ports militaires de la France", par M. le contre-amiral AubeThéophile Aube (Amiral.). Berger-Levrault, 1882
  5. ^ 但し、オーブはかれの後継者とは異なり、戦艦廃止論者ではなかった。彼は3段階からなる戦略を考えていた。まず、魚雷によって敵の海上封鎖を破る。そこから巡洋艦が外洋に出撃する。敵は巡洋艦を補足するために戦力を分割する必要がある。従って、この分断された戦力を撃破すれば良い。
  6. ^ Bueb, p16
  7. ^ Dahl, p116
  8. ^ Dahl, p115-116
  9. ^ Gardiner and Lambert
  10. ^ Howe, p281
  11. ^ Dahl, p118

参考資料[編集]

  • Howe, Christopher (1996). The origins of Japanese Trade Supremacy, Development and technology in Asia from 1540 to the Pacific War. The University of Chicago Press ISBN 0-226-35485-7.
  • Roksund, Arne. The Jeune École: The Strategy of the Weak. Leiden: Brill, 2007. ISBN 978-90-04-15273-1.
  • Gardiner, Robert, and Lambert, Andrew (Eds.). Steam, Steel and Shellfire: The steam warship 1815–1905. Conway's History of the Ship, ISBN 0-7858-1413-2.
  • Theodore Ropp: The Development of a Modern Navy: French Naval Policy 1871–1904. Ed.: Stephen S. Roberts, Annapolis, Md., Naval Institute Press, 1987 (Harvard University dissertation from 1937).
  • (de/fr) Volkmar Bueb: Die "Junge Schule" der französischen Marine. Strategie und Politik 1875–1900, Harald Boldt Verlag, Boppard am Rhein, 1971. In: Militärgeschichtliches Forschungsamt (Editor): Wehrwissenschaftliche Forschungen, Department Militärgeschichtliche Studien, Volume 12. ISBN 3-7646-1552-4. (In German with quotations in French. Title translated to the English language: The "Jeune École" in the French marine. Strategy and policy between 1875 and 1900. Book out of print. Only in scientific libraries.
  • Erik J. Dahl: Net-Centric before its time: The Jeune École and Its Lessons for Today US Naval War College Review, Autumn 2005, Vol. 58, No. 4, 109-135

関連項目[編集]

外部リンク[編集]