ジュスティーヌ・エナン
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ジュスティーヌ・エナン |
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|---|---|---|
| 基本情報 | ||
| ラテン文字名 | Justine Henin | |
| 愛称 | ジュジュ(JuJu) | |
| 国籍 | ||
| 出身地 | 同・リエージュ | |
| 生年月日 | 1982年6月1日(27歳) | |
| 身長 | 167cm | |
| 体重 | 57kg | |
| 利き手 | 右 | |
| バックハンド | 片手打ち | |
| ツアー経歴 | ||
| デビュー年 | 1999年 | |
| 引退年 | 2008年 | |
| ツアー通算 | 43勝 | |
| シングルス | 41勝 | |
| ダブルス | 2勝 | |
| 生涯通算成績 | 540勝142敗 | |
| シングルス | 493勝107敗 | |
| ダブルス | 47勝35敗 | |
| 4大大会最高成績・シングルス | ||
| 全豪 | 優勝(2004) | |
| 全仏 | 優勝(2003・05-07) | |
| 全英 | 準優勝(2001・06) | |
| 全米 | 優勝(2003・2007) | |
| 優勝回数 | 7(全豪1・全仏4・全米2) | |
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||
| 全豪 | 3回戦(2003) | |
| 全仏 | ベスト4(2001) | |
| 全英 | 3回戦(2001) | |
| 全米 | 2回戦(2001・02) | |
| キャリア自己最高ランキング | ||
| シングルス | 1位 | |
| ダブルス | 23位 | |
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| テニス | ||
| 金 | 2004 | 女子シングルス |
ジュスティーヌ・エナン(Justine Henin, 1982年6月1日 - )は、ベルギー・リエージュ出身の女子プロテニス選手。母国語はワロン語である。当地最大のテニス選手として、4大大会女子シングルス通算「7勝」を挙げたが、2008年5月14日に世界ランキング1位のままで現役を引退した。身長167cmと比較的小柄な身体から飛び上がって打つ独特な片手打ちバックハンド・ストロークと、類い稀なフットワークを最大の武器にした選手である。WTAツアーでシングルス41勝、ダブルス2勝を挙げた。
エナンの年代から、「シュテフィ・グラフに憧れて」テニスを始める選手が登場する。エナンは2歳の時に初めてテニスのラケットを握り、6歳から専門的な指導を受け始めた。彼女はちょうど10歳になった時、母親と一緒に1992年全仏オープンの女子シングルス決勝を会場で観戦し、グラフとモニカ・セレシュの熱闘に深い感動を受けた。この試合を一緒に見た母親は、1995年2月に癌で死去してしまい、ジュスティーヌは父子家庭で育つことになる。14歳の時にコーチのカルロス・ロドリゲスと出会い、現役引退までずっと彼の指導を受け続けた。1997年、ジュニアテニス選手の登龍門と言われる「オレンジボウル選手権」に15歳で優勝。1999年にプロ入りし、5月に故国のアントワープで開催された「ベルギー・オープン」でツアー初優勝を遂げた。この後全仏オープンで4大大会にデビューし、予選3試合を勝ち抜いた後、2回戦で第2シードのリンゼイ・ダベンポートに初挑戦した。
エナンが最初に注目を集めたのは、2000年全米オープンの4回戦進出であった。この時、彼女は3回戦で人気選手のアンナ・クルニコワ(ロシア)を 6-4, 7-6 で倒した後、次の4回戦でリンゼイ・ダベンポートに 0-6, 4-6 で敗れた。2001年1月、年頭のオーストラリア・ゴールドコースト大会の決勝でシルビア・ファリナ・エリア(イタリア)を破り、ツアー2勝目を獲得する。2001年全仏オープンにおいて、エナンはシングルス・ダブルスの2部門で準決勝に進出した。シングルス準決勝では1歳年下のキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」に敗れ、ダブルスではエレナ・タタルコワ(ウクライナ)とパートナーを組んだ。続くウィンブルドンでは第8シードから決勝に進出し、前年度優勝者のビーナス・ウィリアムズに 1-6, 6-3, 0-6 で敗れて準優勝になった。(日本の新聞一般表記は、全仏オープンまでは「ジャスティン・ヘニン」であったが、ウィンブルドン以後フランス語読みに合わせて「ジュスティーヌ・エナン」に統一された。)この一連の活躍で世界的な注目を浴び、世界トップ10選手に定着する。こうして、エナンとクライシュテルスのベルギー女子2強豪がテニス界を席巻し始めた。
2002年11月16日、ジュスティーヌ・エナンはピエール=イブ・アーデンと結婚した。結婚後は2つの姓を併用して「ジュスティーヌ・エナン・アーデン」(Justine Henin-Hardenne)と名乗るようになる。2003年全仏オープン、2003年全米オープン、2004年全豪オープンでそれぞれ初優勝を達成。この3大会ではすべてキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」の決勝を制し、ベルギーのテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。2004年アテネ五輪で女子シングルスの金メダルを獲得した時は、決勝でフランスのアメリ・モレスモを 6-3, 6-3 で圧倒した。
2004年のシーズンはウイルス性疾患などに悩まされたが、2005年の全仏オープンで2年ぶり2度目の優勝を飾り、4大大会通算4勝目を挙げる。その決勝戦では地元フランスの30歳マリー・ピエルスを 6-1, 6-1 で圧倒した。2006年の全豪オープンでは、2年ぶり2度目の決勝戦でアメリ・モレスモとの対戦中に体調を崩し、1-6, 0-2 で途中棄権に追い込まれたため、2度目の全豪優勝はならなかった。続く2006年の全仏オープンでは、2004年全米オープンの優勝者スベトラーナ・クズネツォワを 6-4, 6-4 で圧倒し、大会2連覇を達成する。2006年度の4大大会はすべて決勝に進んだが、全仏以外は準優勝に終わった。
2007年から、彼女は選手登録名を旧姓の「ジュスティーヌ・エナン」に戻した。2007年全豪オープンを「個人的な理由で」欠場し、全豪開催期間中の1月23日に公式サイトで夫のピエール=イブ・アーデンと離婚したことを明らかにした。この年、エナンは全仏オープンで大会3連覇を達成した。全仏オープンの女子シングルス3連覇は、1990年から1992年にかけて3連覇したモニカ・セレシュ以来の偉業となった。2007年全米オープンでは、2002年のセリーナ・ウィリアムズ以来となる全試合ストレート勝ちの完全優勝を成し遂げた。
2008年5月14日、エナンは母国ベルギーで記者会見し、シーズン途中での現役引退を発表した。テニス選手が世界ランキング1位のままで現役を退いたのは史上初めての出来事である。(世界トップ10位以内のままで現役を引退した女子選手は、過去にはクリス・エバート、マニュエラ・マレーバ・フラニエール、マルチナ・ナブラチロワ、伊達公子、シュテフィ・グラフ、キム・クライシュテルスがいた。)同国のライバル、クライシュテルスは前年の2007年5月に現役を引退している。その1年後にエナンが世界1位のまま女子テニス界を去ったことにより、ベルギーの女子2強豪の姿がテニスコートから消えた。
[編集] 4大大会優勝
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年 | 全仏オープン | 6-0, 6-4 | 「ジュスティーヌ・エナン・アーデン」の名前で優勝 | |
| 2003年 | 全米オープン | 7-5, 6-1 | ||
| 2004年 | 全豪オープン | 6-3, 4-6, 6-3 | ||
| 2005年 | 全仏オープン | 6-1, 6-1 | ||
| 2006年 | 全仏オープン | 6-4, 6-4 | ||
| 2007年 | 全仏オープン | 6-1, 6-2 | 旧姓の「ジュスティーヌ・エナン」に戻る | |
| 2007年 | 全米オープン | 6-1, 6-3 |
[編集] 外部リンク
- ジュスティーヌ・エナン - WTAツアーのプロフィール(英語)
- フェドカップ成績表
- ジュスティーヌ・エナン公式サイト (英語・フランス語・オランダ語)
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