ジャン=クロード・ニコラ・フォレスティエ

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フォレスティエの肖像

ジャン=クロード・ニコラ・フォレスティエ(Jean-Claud Nicolas Forestier 1861年1月9日 - 1930年10月26日)は、フランス造園家

1887年から1930年まで、パリ市緑地計画の責任者。大都市における公園のあり方を考慮した著作を執筆してもいる。

エクス=レ=バンに生まれる。技術学校を卒業し、海軍士官技術兵を志望していたが、事故で右手が不自由になり断念する。そこで、林業を志し、サヴォアとピレネーの農林学校に通う。この後紆余曲折あり、のちのパリ市公園部長ジャン=シャルル・アルファンに抜擢され、市公園部に奉職、林務官となる。その間、友人たちから自分の庭の設計試案を依頼される。このときカサ・デル・レイ・モロの庭を含め、イタリア式に影響を受けた構成の17種類もの試案を作成し、これについて解説をまとめたものがのちの著作「Jardins」(『Gardens: A Note-book of Plans and Sketches』1920年)である。その他の著作として、Les Gazons(芝)がある。

設計した庭園に、シャン=ド=マルス庭園、セビリア、マリ=ルイーズ庭園、その他バハマバルセロナでも幾つか庭園を作庭している。本国ではブローニュの森の監理者として、バガテル・バラ園を設計している。

パリ万国博覧会 (1925年)の庭園展示のディレクターを務めているが、ヴェラ兄弟の出展した庭園を奇抜さを重視と批判している。

参考文献[編集]

  • パリ大改造 ハワード・サールマン 井上書院 1983年