ジャン・チョクラルスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ジャン・チョクラルスキーポーランド語:Jan Czochralski1885年10月23日 - 1953年4月22日)はポーランド化学者半導体ウェハーの製造工程で用いられるチョクラルスキー法の発明者である。なお、ポーランド語ではヤン・チョフラルスキと呼ばれる。

人物[編集]

チョクラルスキーはポーランドクチニアに生まれた。1900年ベルリンへ移住し、カロッテンブルク・ベルリン工科学校で金属科学を専攻した。

チョクラルスキーは技術者として1907年AEGで働き始めた。

1916年、誤ってインク入れと間違えてペンを坩堝に入れた時に、引き上げたペン先の毛細管に薄い金属が固まっていて、その金属は単結晶だったという出来事をきっかけとしてチョクラルスキー法を開発した。チョクラルスキーはこの方法で直径1ミリ、全長150センチの単結晶金属を製造した。チョクラルスキーは1918年ドイツの化学雑誌であるZeitschrift für Physikalische Chemie誌に"Ein neues Verfahren zur Messung der Kristallisationsgeschwindigkeit der Metalle" [金属の結晶化率を測定する新しい方法]と題して論文を書いた。スズ亜鉛の結晶化率を測定するために用いられた。1950年アメリカのベル研究所のゴードン・K・ティールJ・B・リトルはチョクラルスキー法でゲルマニウムの単結晶を成長させて半導体の製造において転換をもたらした。

第二次世界大戦中は対独抵抗組織国内軍(アルミア・クラヨヴァ)の技術者としてSidolówkaとして知られるR wz. 42手榴弾の開発に携わった。

外部リンク[編集]