ジャン・ゲティ

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ジャン・ゲティ。1944年、撮影

ジャン・ポール・ゲティ/ジーン・ポール・ゲティ(Jean Paul Getty、1892年12月15日 - 1976年6月6日)は、アメリカの実業家。石油王。生前は、世界一の大富豪でありながらケチだったことや孫のゲッティ三世誘拐事件などで有名だった。

略歴[編集]

ミネアポリスの裕福な家庭に生まれ、父親は弁護士だった。父親が1903年にオイルビジネスで成功しゲッティも大学を卒業した1914年からオイル採掘を手伝い、23歳で100万ドルを稼いでいた。

父親の死後、金銭問題で母親と不仲になるも買いたたき、見切り価格の良さで成功する。世界恐慌時には、全従業員を解雇した後、安く雇い直した。ナチス政権が誕生すると高官たちと親しく付き合い、オーストリア併合時にロスチャイルド家の資産放出を狙う。ナチスがアメリカに宣戦布告すると本国で役職についたがFBIの監視下にあった。

大戦後は、イギリスの大邸宅を購入し移住。1948年にはサウジアラビア、イラン、クェートで権利を獲得し油田を開発する。1950年には石油やホテルビジネスなど関連会社で40社を保有し1956年、フォーチュン誌で世界一の大富豪に選ばれた。1976年、がんで死去。

死後、遺産の大部分は美術館を管理するゲティ財団へと託された。これに不満な一族は、財団・兄弟同士・子供は親を訴えたりと、泥沼の訴訟合戦を長期間続けた。ゲッティ石油は、一族によってテキサコに売却された。

逸話[編集]

  • 46歳までに5人の女性と結婚し、子供を作っては離婚した。子供ができると、長い旅に出かけ、帰ってこなかった。愛人が多数いた。
  • 自宅で客がかける電話代が高かったことから公衆電話を置いた。
  • 多額の費用をかけたにも関わらずゲティ美術館に生涯訪れなかった。
  • 長男は会社運営の責任は全てまかされたが、ストレスから自殺した。
  • 三男のポール・ゲッティ二世は、芸術家で有名人たちと華やかな交際をしたが、最初の妻はヘロインの過剰摂取で死去。息子のジャン・ポール・ゲティ三世英語版は、別れてローマで暮らしていたがマフィアのンドランゲタに誘拐され親もとへ身代金を要求された。普段から放蕩生活を送っていたことからゲティは、金目当ての狂言と見なし支払いを拒否。すると犯人たちは耳と髪を切り取り、写真を同封のうえ封筒で親元に送りつけた。世論の圧力もあり、値切った金額の身代金を支払うことでゲッティ三世は救われた。

参考文献[編集]

関連項目[編集]