ジャンヌ・ド・ダンマルタン

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ジャンヌ・ド・ダンマルタンJeanne de Dammartin、1220年頃 - 1279年3月16日)は、フランスのオマール伯、ポンチュー伯。オマール伯シモン・ド・ダンマルタンとポンチュー伯マリーの子。

1230年頃、父シモンがフランス王ルイ9世との婚約を整えるが、後にルイによって破棄された[1]。1237年、ブルゴスにてカスティーリャ・レオンフェルナンド3世と結婚し、5子をもうけた。カスティーリャ語ではフアナ・デ・ダンマルティン(Juana de Danmartín)と呼ばれた。

  • フェルナンド(1238年-1264年) - オマール伯
  • レオノール(1241年-1290年) - ポンチューおよびモントルイユ伯。1254年にイングランドエドワード1世と結婚。
  • ルイス - マルチェダおよびスエロス領主
  • ヒメノ(1244年没)
  • フアン(1244年没)

フェルナンド3世に先立たれると、ジャンヌは引退し自分の領地に戻った。1254年頃、ファルヴィ領主ギィ・ド・ネールと再婚、2子をもうけた。

1259年、いとこであるブローニュ伯およびダンマルタン伯マティルド・ド・ダンマルタンが死ぬと、ジャンヌはブローニュ伯領の相続を目論んだ。しかし、パリ高等法院は1262年に裁定を下し、ブローニュ伯領はアデライード・ド・ブラバン(母がブローニュ伯の娘)に、ダンマルタン伯領はル・ヴォーマン領主マチュー・ド・トリーに相続させた。

脚注[編集]

  1. ^ François César Louandre, Histoire ancienne et moderne d'Abbeville et son arrondissement, 1834, p. 96.