ジャンカルロ・フェレッティ

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ジャンカルロ・フェレッティ(Giancarlo Ferretti、1941年10月16日 - )は、イタリアの自転車プロロードレース監督。卓越した指導力と巧みな資金集めで数多くの名門チームを作り上げ、多くの優秀な選手を輩出している希代の名監督である。現在は予定していたスポンサーとの契約が白紙になったため休業中[1]

経歴[編集]

元はプロロードレース選手であり、1963年から1970年までイタリアのチームで走った。この間主にフェリーチェ・ジモンディのアシストとして働き、勝利数は0。最も上位に入ったもので、1966年のツール・ド・スイスの区間2位という成績が残っている。

人物[編集]

その名声を高めたのはむしろ監督になってからで、資金集めの巧みさ(プロロードレースチームは通常監督がスポンサー集めも行う)、スタッフに対する的確な指導、選手の才能を開花させる育成能力など、全てにおいて非常に高いレベルにあり、新チームを立ち上げる際には彼を慕って集まるスタッフも少なくない。人物評によると「慎重且つ冷静、しかし決断は大胆」「経験が長いにも拘らず進歩的」などがある。不調だった選手が勢いを取り戻したり、隠れていた選手の才能を開花させるなどの手腕も高く、特にジロ・デ・イタリアの年間区間優勝数記録を更新したアレッサンドロ・ペタッキを輩出したことは記憶に新しい。

ドーピングに対する姿勢も潔癖且つ厳格で、2001年のジロ・デ・イタリアで取った対応[2] がそれを物語っている。

ファッサボルトロ指導時には日本人スタッフも採用した。一人はメカニックの永井孝樹[3]、もう一人はマッサーの中野喜文[4] である。

主なチーム[編集]

  • ビアンキ-ピアッジョ
  • アリオステア(CeramicheAriostea)
  • GB-MGおよびMGテクノジム
  • ファッサボルトロ(Fassa-Bortolo)

主なエース選手[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 出典
  2. ^ 最終日2日前にカラビニエリ(憲兵隊)による一斉薬物捜査が行われた際に、総合2位につけていたダリオ・フリーゴが監督に対し薬物使用を告白。その時点で薬物の所持や陽性反応は出ていなかったが、即日レースから除外し、解雇した。黙っていれば総合2位で表彰台に上がることも可能だった。
  3. ^ 現在、自由が丘で自転車店を経営
  4. ^ 現在、リクイガス 所属

関連項目[編集]

外部リンク[編集]