ジャマール・ティンズリー

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ジャマール・ティンズリー
Jamaal Tinsley
Jamaal Tinsley 2006.jpg
名前
本名 Jamaal Lee Tinsley
ラテン文字 Jamaal Tinsley
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1978年2月28日(36歳)
出身地 ニューヨーク州ブルックリン
身長 191cm
体重 84kg
選手情報
ポジション PG
ドラフト 2001年 全体27位
経歴
2001-2009
2009-2010
2011
2011-2013
インディアナ・ペイサーズ
メンフィス・グリズリーズ
LAディーフェンダーズ(D-League)
ユタ・ジャズ

ジャマール・ティンズリーJamaal Lee Tinsley1978年2月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン区出身のバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。身長191cm、体重84kg。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

ティンズリーはストリートボールの聖地であるニューヨークのラッカーパークで、「The Abuser」の異名で知られていた。荒んだ少年時代を過ごしていたティンズリーは高校を中途退学するも、その後GEDに合格することで、マウント・サン・ハシント大学(MSJC)進学への道を手にした。

大学時代[編集]

MSJCでの2年目となった1998-99シーズンには22得点9.8アシスト4.5スティールの成績で、フットヒル・カンファレンスのMVPに選ばれ、チームは32勝6敗の戦績を残した。翌1999-2000シーズンからはアイオワ州立大学でプレイし、1年目にはチームをNCAAトーナメントのElite8に導き、自身がこのシーズンに記録した通算244アシストはジェフ・ホーナセックの記録を破って同校の新記録となった。翌00-01シーズンにはAP通信選出のオールアメリカンセカンドチームに選ばれた。

NBA時代[編集]

2001年のNBAドラフトにてメンフィス・グリズリーズから1巡目27位指名を受けるが、その後すぐにインディアナ・ペイサーズにトレードされた。1年目から先発に抜擢されたティンズリーは期待を裏切らない活躍を見せ、NBAデビューしてから1ヶ月も満たない11月22日ワシントン・ウィザーズ戦では、19得点11リバウンド23アシストで早くもトリプルダブルを叩き出した。なお23アシストは現在もティンズリーのキャリアハイである。ルーキーイヤーとなった01-02シーズンは9.4得点8.1アシストの成績でオールルーキーセカンドチームに選ばれた。

素晴らしい才能を秘めたように見えたティンズリーだが、しかしルーキーシーズン以降は伸び悩みのシーズンが続いた。03-04シーズンには開幕から先発を外されてしまい、また故障も抱えるようになったティンズリーはこのシーズンを30試合欠場した。シーズン後半には先発に返り咲き、翌04-05シーズンには15.4得点6.4アシストの好成績を残しが、怪我に付き纏われ、04-05シーズンと翌05-06シーズンはシーズンの半分を欠場した。翌06-07シーズンは怪我から復調し、72試合に出場するも、今度は私生活でトラブルが重なるようになり、問題行動がチームからの出場停止処分へと発展したこともあった。

07-08シーズンは12月にさっそく銃撃を受けるというトラブルに見舞われたが、ベテランとしての役割を果たすようになり、2004年の乱闘事件以降低迷しているチームを支えていた。しかし、たび重なる故障やトレード発言が原因でチームの方針により08-09シーズンは1試合も出場することなくシーズンを終えた。シーズン終了後、ついにペイサーズから解雇された。その後、11月14日メンフィス・グリズリーズと契約した。

2011年、ユタ・ジャズに加入。

外部リンク[編集]