ジャハーンギール・ホージャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ジャハーンギール・ホージャJahangir Khoja1788年 - 1828年)はカシュガルホージャブルハン・アッディーンの孫でホージャ・サリムサク中国語版の子。

コーカンド・ハン国で生まれた。カーブルで学問を修めたが、政治的野心を持つようになり、の支配から東トルキスタンを回復してホージャの統治を復活させようとした。1820年から3度にわたって東トルキスタン南部に潜入して蜂起を行った。清とコーカンド・ハン国は秘密に協定を結んで、ジャハーンギール・ホージャを幽閉した。しかし1826年5月にフェルガナ盆地で起こった地震をきっかけに脱出し、カシュガルに入った。カシュガルに現れた時には数百人の支持者しかいなかったが、数ヶ月の間に20万人に膨れ上がり、カシュガル、ヤルカンドイェンギサールホータンを占領した。清はイリ将軍長齢陝甘総督楊遇春、山東巡撫武隆阿、拡粛提督の斉慎に命じて吉林省黒竜江省陝西省甘肅省四川省から兵を集めさせた。1827年アクスでの戦いでジャハーンギール・ホージャは敗北し、カシュガルなどを失った。その後1828年にジャハーンギール・ホージャは捕えられて北京に護送された。その後道光帝による尋問の後、処刑された。死体は切り刻まれ、犬に与えられたという。