ジャック・ドリオ

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演説するドリオ

ジャック・ドリオ(Jacques Doriot 1898年9月26日 - 1945年2月23日)は、フランス政治家共産党活動家から転向してファシストとなり、ヴィシー政権下では代表的なコラボラシオンとなった。

経歴[編集]

オワーズ県出身。17歳の時にサン=ドニへと出て金属労働者となり、第二インターナショナル・フランスの青年組織にも参加。第一次世界大戦で従軍するも、抗命の疑いで投獄された。

復員後、フランス共産党の結成に参加し、コミンテルン代表として中国に派遣されたこともある。大衆向けの演説で党勢の拡大に貢献し1924年には党全国委員に選出、国会議員にも当選し1931年には地元サン=ドニ市長も兼任することとなる。だがモーリス・トレーズとの権力闘争に敗れ、更にコミンテルンとの確執や折からのナチス台頭もあって、1936年に共産党を離党。自らフランス人民党を結成し、党首となった。

ドリオの煽情的な演説や宣伝・ドリオの個人的なカリスマもあって、結成当初こそ人民党は熱狂的な支持を得たものの、ムッソリーニ政権から秘密裏に支援を受けていたことがマスコミで報じられると人気は失速し、加えて人民戦線への支持が強まったことからドリオ自身も国会での議席を失う。しかし1940年にフランスがナチス・ドイツに降伏するとコラボラシオンとしてドリオは再度表舞台に登場し、パリを拠点に対独協力の宣伝活動を行うと共に反共義勇軍を組織して東部戦線へと派遣した。連合国軍のパリ入城でドリオはドイツへと亡命し、親ナチスの亡命政権樹立を目論むが、その途中で連合国軍機の機銃掃射で死去した。