ジャック・ウェルチ
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ジョン・フランシス・“ジャック”・ウェルチ・ジュニア(John Francis "Jack" Welch Jr., 1935年11月19日~ は、アメリカ合衆国の実業家。1981年から2001年にかけて、ゼネラル・エレクトリック社の最高経営責任者を務め、そこでの経営手腕から「伝説の経営者」と呼ばれた。
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[編集] 経歴
マサチューセッツ州ピーボディのアイルランド系カトリック教徒の家庭に、ボストンメイン鉄道の経営者ジョンと主婦グレイスの子として生まれる。1957年にマサチューセッツ大学を卒業。その後、1960年にイリノイ大学で博士号を取得し、同年、ゼネラル・エレクトリック社に入社した。
イリノイ州スコーキの国際鉱物化学薬品に転職しようと早くから退社を考えるが、階級がひとつ上の役員ルーベン・ガトフが「失うのは惜しい」とウェルチを引き止める。1972年同社副社長、1977年上席副社長、1979年副会長、1981年には同社で最年少の会長兼最高経営責任者となった。
1999年には『フォーチュン』誌で「20世紀最高の経営者」に選ばれており、最高時の年収は9400万ドルにも達した。
[編集] 特徴
冷戦時代末期(1980年代)のアメリカにおける整理解雇ブームを惹き起こした人物として有名である。ウェルチの基本的な経営手法は、(1)「リストラ」「ダウンサイジング」と呼ばれる大規模な整理解雇による資本力の建て直しと、(2)企業の合併・買収(M&A)と国際化の推進である。又、「世界で1位か2位になれない事業からは撤退する」とも主張した。会社を守り、人材を守らないことから、「建物を壊さずに人間のみを殺す中性子爆弾」の特性になぞらえて「ニュートロンジャック」と綽名された。
冷戦時代末期にはロナルド・レーガンが政権を握っていたが、レーガンもまた新保守主義と新自由主義を掲げて、労働者を保護する法制を一掃した。そして、冷戦終結後の1990年代になっても整理解雇ブームは収まらず、1990年代末期のITバブルで整理解雇ブームは一時収まった。この結果、「ジェネレーションX」と呼ばれる1960年~1974年生まれの世代が、軒並み就職難に遭遇した。
[編集] 後世への影響
1990年代の日本では、焼け跡世代(1930年代生まれ)が政治や企業のトップに就いたが、彼らはウェルチの大規模な整理解雇をそっくり模倣し、それまでの日本型の安定雇用社会を根こそぎ破壊した者が多い(例:奥田碩、御手洗富士夫、小渕恵三)。彼らは第二次大戦当時小学生であり、日本軍が敗れるとダグラス・マッカーサーによる日本的風習の排斥とアメリカ的風習の賛美の下で育った為に、「アメリカのする事は何でも正しい」と思ったまま成長した事が大きな要因だと言われている。
一方で、ウェルチと対蹠的な経営手法を採った美川英二(横河電機元社長)を、彼こそ「経営の神様」だと評価している面を持つ人物でもある。美川英二の経営手法は、終身雇用を最重視し、企業の適正規模は今のコンピューター社会でも2000人までが限度と説き、総務課までをも社内分社化するという手法である。これは、ビル・トッテンにも影響を与えている。

