ジム・クレイグ (アイスホッケー)

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獲得メダル

レークプラシッドオリンピックで彼が使用した防具
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子アイスホッケー
オリンピック
1980 レークプラシッド 団体

ジム・クレイグ(Jim Craig 1957年5月31日- )はマサチューセッツ州イーストン出身の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。1980年から1983年までNHLアトランタ・フレームスボストン・ブルーインズミネソタ・ノーススターズで30試合に出場した。1980年のレークプラシッドオリンピックアメリカ代表として出場し金メダルを獲得した。

アマチュア時代[編集]

高校時代注目されなかったため、マサソイト・コミュニティ・カレッジに進学、そこでボストン大学ジム・パーカーに見いだされ同大学へ進学し[1]1977年には大学のアイスホッケー部をNCAAディビジョンIで優勝させた[2]。また1979年にはNCAAのオールスターにも選ばれた。1989年にはボストン大学の殿堂入りも果たした[3]

彼を有名にしたのは1980年に行われたレークプラシッドオリンピックでソビエト連邦を破り氷上の奇跡と呼ばれた試合である。この試合のゴールを守った彼はアメリカのシュートが16本だったこの試合でボリス・ミハイロフに率いられた強力な攻撃による42本中39本のシュートをセーブし[4]、試合は4-3でアメリカが1点差で勝利した。クレイグが身につけていた装備は現在ニューヨークマンハッタンにあるスポーツミュージアムに展示されている[5]。ソ連戦の2日後に行われたフィンランドとの試合を4-2でものにして彼らは金メダルを獲得した[2]

プロ生活[編集]

1977年のNHLドラフトで72巡目でアトランタ・フレームスに指名された彼はオリンピック直後にフレームスに入団した。デビュー戦は勝利したもののNHLの試合での活躍はならなかった。翌シーズン地元チームであるボストン・ブルーインズに入団したが控えゴールテンダーであり、プレーオフでは出場機会を与えられなかった。1981年のカナダ・カップに出場するためにアメリカ代表に再び選ばれたが負傷のためトーナメントに出場することはできなかった。翌シーズンはマイナーリーグのエリー・ブレイズに在籍した。1983年のアイスホッケー世界選手権のプールBに属するアメリカの代表に選ばれた彼は活躍を見せフリーエージェントとなっていたがミネソタ・ノーススターズとの契約にこぎ着けた。ノーススターズでは3試合に出場した後[6]、1984年に現役を引退した。

受賞歴[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]