ジムノート (潜水艦)

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Gymnote1889.jpg
ジムノート、1899年
経歴 (フランス) Flag of France.svg
名称: ジムノート
名称の由来: Gymnotus。仏語でデンキウナギの意
起工: 1887年4月20日
進水: 1888年9月24日
退役: 1908年
その後: Scrapped
仕様諸元
分類 潜水艦
排水量 30トン
全長: 17.8 m (58.4 ft)
機関: 電動機 41 kW (55 hp)
速力:

水上:7.3ノット

水中:4.3ノット
航続距離:

5ノットで65海里(水上)

4.3ノットで25海里(水中)
総員: 5名

ジムノートGymnote)は1888年9月24日に進水したフランス海軍の世界最初の電動機推進の潜水艦である。

アンリ・デュピュイ・ド・ローム(1816年 - 1885年)が初期の実験を行い、彼の死後はギュスターヴ・ゼデ(Gustave Zédé、1825年 - 1891年)とアーサー・クレブス(Arthur Krebs)がジムノートを完成させた。クレブスが潜水艦用電動機、最初の潜望鏡また最初のジャイロコンパスを開発した。ジムノートの名前はフランス語のGymnotusに由来し、デンキウナギの意味である。

船体は鋼鉄製の単殻式であり、着脱式のリード・キール、両側に3枚ずつの水平舵を持っていた。ジムノートは204個(1891年時点)の蓄電池を装備しており、2000回以上の潜行を行った。武装は355 mm魚雷を2基装備していた。

ジムノートは、一部には世界最初の動力潜水艦であるプロンジュール(1863年進水)に触発されたものである。

製造[編集]

ジムノートの設計は実験的なものであり、幾度かの改造を受けている。テオフィル・オーブ提督が委託しデュピュイ・ド・ロームが最初の設計を行い、彼の死後はギュスターヴ・ゼデが引き継いだ。1867年4月20日に、ゼデがディレクターを務めるツーロンのMourillon海軍工廠で起工された。試験は1887年11月17日に開始された。

ジムノートは水中で若干の正浮力を持つように設計されていたため、水平舵を若干下げて航行しないと水面に浮きあがる傾向があった。前部・中央部・後部に合計3個のバラストタンクが備えられており、電動または圧縮空気で排水ができた。潜行中は、連続的な調整が必要であった。当初は水平舵は後部にのみ取り付けられていたが、それだけでは調整が難しかった。速度が6ノットを超えると、不安定となった。この速度では、深度を維持するために船体を3-5度傾ける必要があったが、これは船首が船尾より1.5mも下になることを意味した。1893年には中央部に水平舵が追加され、安定性が向上し潜水中に水平を保てるようになった。

クレブス大佐が設計し、ル・アーヴル鉄工造船所で製造されたオリジナルの16極電動モーターは、200ボルト200アンペアで55馬力を発揮し、直径1m、重量は2トンあった。プロペラはモーターに直結され、毎分250回転した。モーターは2つのブラシを持ち、逆転ができるようになっていた。モーターが艦に据え付けられた後、後部ベアリングにアクセスできず交換ができないことが判明した。絶縁検査や修理はアマチュアには困難であった。また、パワーオフしてもモーターが直ちに停止するのではなく、自由回転の後ゆっくりと停止するように設計されていた。モーターが停止した後でないと逆転はかけられず、すなわち緊急時のプロペラ逆転はできなかった。このモーターには問題が多かったため、後により強力なSautter-Harlé社製モーターに交換された。

当初は540個の亜鉛酸化銅電極とし、水酸化カリウム電解液とするLalande-Chaperon蓄電池を搭載した。電池は艦首側に置かれたが、並列接続した45ペア(90個)を直列接続したものを1バンクとし、それを6バンク接続できるようになっていた。速度を変える際には、これらバンクの接続を変える。例えば、6バンク直列接続すると150ボルトで8ノット出せ、3バンクを直列接続したものを並列接続すると114Vで7ノット、2バンク直列x3並列だと84Vで5.5ノット、全てを並列接続すると45Vという具合である。1バンクで最大144Aの電流を供給できた。電池全体で11トンの重量があった。1891年には硫酸を使用したLaurent-Cely電池に交換された。今回は17ペアを直列接続したものを、やはり6バンク搭載した。8ノットでの航続距離は32マイル、4ノットでは100マイルであった。1897年には別の新しい電池に交換された。

船殻は中央部が6mm厚、前後は4mm厚の鋼鉄製で、断面は円形であった。内部は電解液による腐食を防ぐため、コールタールが塗られた。船殻は32個の円形フレームと全長方向の筋交で支えられた。

ジムノートには潜望鏡が装備されたが、結果は満足すべきものではなく、結局使用は断念された。潜望鏡を固定または収納するために潜行が遅れ、また防水も完全ではなく度々危険な水漏れがあった。1898年には小さな展望塔が追加された。磁気コンパスとジャイロコンパスを装備していたが、どちらも信頼性に欠けた。武装としては2門の14インチ魚雷発射管を装備した。

艦歴[編集]

1907年3月5日、ジムノートは座礁して損傷を受けた。ドライドックに入れられたが、バルブが開いたままであり浸水してしまった。修理コストは高く付くと考えられたため、1911年にスクラップのために売却された。

参考資料[編集]