ジグメ・ティンレー

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ジグメ・ティンレー
འཇིགས་མེད་འོད་ཟེར་འཕྲིན་ལས།

現職
就任
2008年4月9日
君主 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク
前任者 キンザン・ドルジ
任期
2003年8月30日 – 2004年8月20日
君主 ジグミ・シンゲ・ワンチュク
前任者 キンザン・ドルジ
後任者 イェシュイ・ジンバ
任期
1998年7月20日 – 1999年7月9日
前任者 レンドゥプ・ドルジ(代行、1998年まで空席)
後任者 サンゲ・ゲドゥプ

出生 1952年9月9日(61歳)
Flag of Bhutan (1949-1956).svg ブータン、ブムタン県
政党 ブータン調和党(DPT)
母校 ペンシルベニア大学

ジグメ・ティンレーゾンカ語འཇིགས་མེད་འོད་ཟེར་འཕྲིན་ལས།Jigme Thinley、正式名:ジグメ・エーセール・ティンレーJigme Yoser Thinley)は、ブータン政治家。現在、同国首相(第2・7・12代)。下院議員

日本では「ジグミ・ティンレイ」とも表記される。

概要[編集]

父は歴代国王の側近であった[1]。1976年、米国ペンシルベニア大学で公共政策の修士号を取得。帰国後は国家公務員となり[2]、様々な官職を歴任した。

1998年、国民議会における閣僚候補信任投票で候補中最多票を獲得し、閣僚評議会入りして外務大臣に就任した。また、任期中に閣僚評議会議長(閣僚輪番制の首相相当職)も務めた。2003年、閣僚評議会の改組で再度信任投票を受け、再び最多票を獲得する。閣僚評議会では内務文化大臣に就任し、閣僚評議会議長も務めた。

閣僚在任中、1期目の1999年6月、2期目の2006年10月に1回ずつ訪日したほか[3]、2005年にも訪日し、愛知万博に足を運んでいる。

2007年8月、ブータンで新たに組織された政党の1つであるブータン調和党(略称DPT)の党首に選出された。翌2008年3月24日、初の普通選挙による国民議会(下院)選挙で、DPTはサンゲ・ゲドゥプが率いる国民民主党(略称PDP)を破り、全47議席中45議席を占める圧勝を収めた。この結果、ジグメ・ティンレーは、同年4月9日に、ブータン史上初の民選首相に任命された[4]

首相就任後、それまでのほぼインド一辺倒だったブータンの外交を、多方面への拡大路線に変更し、特に中国に接近している。この動きに、インドは補助金などの支援を減らした。ティンレー政権が倒れた後、インドは減らした支援を復活させている[5]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日新聞』2008年3月27日
  2. ^ 同上
  3. ^ 外務省「各国・地域情勢 ブータン王国」(2008年3月25日閲覧)
  4. ^ Kuensel Online 2008/04/09His Majesty to confer Dakyen on PM today(2008年4月9日閲覧)
  5. ^ “インド首相 初外遊はブータンに 対中牽制、訪日は来月”. 産経新聞. (2014年6月7日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/140607/asi14060709130003-n1.htm 2014年6月7日閲覧。 

外部リンク[編集]

  • Kuensel Online(英語)
  • 国民議会ホームページ掲載の経歴[1](英語)


公職
先代:
レンドゥプ・ドルジ英語版(代行)
キンザン・ドルジ英語版
キンザン・ドルジ英語版
ブータンの旗 ブータン王国首相
第2代:1998 - 1999
第7代:2003 - 2004
第12代:2008 -
次代:
サンゲ・ゲドゥプ
イェシュイ・ジンバ英語版
(現職)