ジェベ
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ジェベ(Jebe ? - 1225年)は、モンゴル帝国の初代皇帝(大ハーン)であるチンギス・カンの家臣。『元朝秘史』『元史』などの漢語表記では者別、哲別など、『集史』などのペルシア語資料では جبه نويان Jebe Nūyān 。元はジルゴアダイ( 只舌児中豁阿歹 Jirqo'adai/Jirγo'adai)と名乗っていたが、チンギスの命令でジェベと改めた。『元朝秘史』に載る1206年のチンギス・カン即位時の功臣表では、第47位に数えられる。『集史』では「大ジェベ(Yeke Jebe)」とも呼ばれており、弟にトルイに幕僚( امير معتبر amīr-i mu‘tabar =ノコル)として仕えたモンケドゥ・セウルという人物がいたという。
[編集] 生涯
ベスト部の出身で、はじめタイチウト部に属する隷属民だったといわれる。1201年にタイチウト部がチンギスと敵対したためにチンギスと戦い、チンギスの乗馬を矢で射殺するという活躍を見せたが、敗北して投降した。チンギスは彼の武勇を賞賛して家臣に迎えたといわれる(後述)。その後は万人長に昇進し、チンギスの先鋒を常に務めたとされ、金王朝やナイマン部、西遼攻略などで常に戦功を挙げた。チンギスの大西征においても従軍し、ホラズム・シャー朝討滅戦でスルターン・アラーウッディーン・ムハンマドを追撃して憤死せしめ、さらに東欧の一部にまで進撃しカルカ河畔の戦いにおいてルーシ連合軍を破るという戦功を挙げた。
1225年にモンゴルに帰還する途中で病を発し、死去した。チンギスはその死を深く惜しんだという。
[編集] 人物・逸話
- スブタイ、ジェルメ、クビライ・ノヤンと並んで、いわゆるチンギスの四狗(ドルベン・ノガイ)の一人に数えられている。
- チンギスは彼が自分の乗馬を射殺した腕を賞賛し、「矢」(もしくは戦馬)を意味する「ジェベ」の名を授けたといわれる。
- チンギスと敵対したことがあったため、チンギスに警戒されていたことがあった。ジェベと常に行動を共にした四狗のひとり・スブタイはチンギスの命令で彼の監視役も含んでいたといわれるが、ジェベは西遼征服後、かつて射殺したチンギスの乗馬の特徴を備えた馬を大量に献じたり、チンギスの帰還命令に対してスブタイが開戦を強硬に主張したとき、スブタイを説得してチンギスの命令にあくまでも従ったという逸話もある。
- 軍律に厳しい一面があり、部下が戦利品を私物化したのを知るとそれを没収して処罰したといわれる。