ジェイムズ・ダフ (第4代ファイフ伯爵)

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第5代ファイフ伯爵ジェイムズ・ダフ: James Duff, 4th Earl Fife1776年10月6日 - 1857年3月9日)は、イギリスの貴族、軍人。シッスル勲爵士ロイヤル・ゲルフ勲爵士Royal Guelphic Order)。

父は第3代ファイフ伯爵アレグザンダー・ダフ。母はメアリ・スキニー。弟に第5代ファイフ伯爵ジェイムズ・ダフの父親アレグザンダー・ダフがいる。

略歴[編集]

ロンドンの名門パブリックスクールウェストミンスター・スクールで学び、オックスフォード大学を卒業した。

1799年9月9日に、ロンドンでジョン・マナーズと第7代ディザード女伯爵ルイーザ・トルマッチの三女マリア・カロリーネ(Lady Maria Caroline Manners、1775年 - 1805年)と結婚した。

半島戦争では義勇兵としてナポレオン軍と戦い、タラベラの戦い英語版では少将の地位にあった。この時の功績によりスペインの聖ファーディナンド勲章を授与された他、スウェーデンの勲位(瑞:Svärdsorden(en:Order of the Sword))も与えられた。

1811年、父の死去により第4代ファイフ伯爵となり、マクダフ子爵位も継承した。1817年シッスル勲章を受章、同年ファイフ男爵Baron Fifeグレートブリテン貴族)に叙された[1]

1818年から1827年までバンフシャー英語版選出庶民院議員を務めた。

1819年から1821年までジョージ4世の王室執事(en:Gentleman of the Bedchamber)を務めた。1827年から1830年にかけても再び務め、ジョージ4世の死後、跡を継いだウィリアム4世の治世下においても、1837年まで引き続いて務めた。

母親メアリの実家であるスキニー男爵家の相続人がいなかったため、ジェイムズは1827年にスキニー家の財産を相続した。

1857年、80歳で死去。妻との間に子供がいなかったため、ファイフ伯爵位は甥のジェイムズが相続、ファイフ男爵位は断絶した。

脚注[編集]

  1. ^ London Gazette: no. 18356, p. 937, 1827年4月27日

外部リンク[編集]

先代:
アレグザンダー・ダフ
ファイフ伯爵
第4代: 1811-1857
次代:
ジェイムズ・ダフ
先代:
(創設)
ファイフ男爵
初代: 1827–1857
次代:
(断絶)