ジェイコブ・ジャヴィッツ

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ジェイコブ・ジャヴィッツ
生年月日 1904年5月18日
出生地 ニューヨーク州ニューヨーク
没年月日 1986年3月7日(81歳)
死没地 フロリダ州ウェストパームビーチ
所属政党 共和党
ニューヨーク自由党
配偶者 マージョリー・ジョアン・リングリング
(1933年 - 1936年)
マリアン・アン・ボリス・ジャヴィッツ
(1925年生)
(1947年 - 死別)

アメリカ合衆国上院議員

任期 1955年1月1日 - 1957年1月9日
任期 1947年1月3日 - 1954年12月31日
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ジェイコブ・コッペル・ジャヴィッツJacob Koppel Javits, 1904年5月18日 - 1986年3月7日)は、アメリカ合衆国政治家。連邦下院議員(1947年 - 1954年)、ニューヨーク州司法長官(検事総長、1954年 - 1957年)、連邦上院議員(ニューヨーク州選出、1957年 - 1981年)を歴任。所属政党は共和党

生い立ち[編集]

モリス・ジャヴィッツおよびアイダ・リットマン夫妻の息子として生まれる。ジャヴィッツは1920年にジョージ・ワシントン高校を卒業した。コロンビア大学の夜間学校に進学し、その間様々な職業に就いた。その後1923年にニューヨーク大学法律学校に入学する。1926年に卒業、1927年に法曹界入りし、10歳上の兄ベンジャミン・ジャヴィッツと共にジャヴィッツ・アンド・ジャヴィッツ法律事務所を開設した。ジャヴィッツ兄弟は倒産および少数株主訴訟を専門に扱い、大きく成功した。1933年にジャヴィッツはマージョリー・ジョアン・リングリングと結婚した。二人は子どもを設けず、1936年に離婚した。1947年にマリアン・アン・ボリスと再婚し、三人の子どもを設ける。第二次世界大戦勃発時、正規兵としては高齢過ぎると考えられ、ジャヴィッツは1942年に陸軍の化学戦部将校として就役、戦争の終わりまで勤め中佐まで昇進した。

政治経歴[編集]

ジャヴィッツは若い頃、父親がタマニー・ホールの一員として働くのを見て、この悪名高い政治団体の幹部集団に関連する不正と汚職を直接経験することとなった。彼は民主党を拒絶し、1930年代前半にフィオレロ・ラガーディアの市長選を支援する共和連合党に加わった。戦後彼は市長選に立候補したヨナ・ゴールドスタインの主任調査官となる。ジャヴィッツの選挙での働きは彼の政界における能力を示し、マンハッタンの共和党小グループが第21選挙区の候補として指名するのにつながった。共和党は1923年以来同区における議席を持っていなかったが、ジャヴィッツは精力的な運動を展開し当選した。彼は新人議員としてマサチューセッツ州ジョン・F・ケネディカリフォルニア州リチャード・ニクソンと共に議会入りした。ジャヴィッツは1947年から54年まで議員を務め、ニューヨーク州司法長官に就任するため議員を辞職した。

参照[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
ジェームズ・H・トーレンス
ニューヨーク州選出下院議員
ニューヨーク州第21選挙区

1947年 - 1954年
次代:
ハーバート・ゼレンコ
司法職
先代:
ナサニエル・L・ゴールドスタイン
ニューヨーク州司法長官
1955年 - 1957年
次代:
ルイス・レフコウィッツ
議会
先代:
ハーバート・H・リーマン
ニューヨーク州選出上院議員(第3部)
1957年1月9日 - 1981年1月3日
同職:アーヴィング・アイヴス, ケネス・キーティング,
ロバート・ケネディ, チャールズ・グッデル, ジェームズ・L・バックリー,
ダニエル・パトリック・モイニハン
次代:
アル・ダマート