シンフェロポリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンフェローポリから転送)
シンフェロポリ
Сімферопoль
Симферополь
Акъмесджит
シンフェロポリの市旗 シンフェロポリの市章
市旗 市章
標語 : "ロシア語: Город пользы"
位置
ウクライナにおけるシンフェロポリの位置の位置図
ウクライナにおけるシンフェロポリの位置
位置
シンフェロポリの位置(クリミア内)
シンフェロポリ
シンフェロポリ
シンフェロポリ (クリミア)
シンフェロポリの位置(ウクライナ内)
シンフェロポリ
シンフェロポリ
シンフェロポリ (ウクライナ)
シンフェロポリの位置(黒海内)
シンフェロポリ
シンフェロポリ
シンフェロポリ (黒海)
基礎自治体の範囲の位置図
基礎自治体の範囲
座標 : 北緯44度56分53秒 東経34度06分15秒 / 北緯44.94806度 東経34.10417度 / 44.94806; 34.10417
歴史
建設 1784年
行政
ロシアの旗 ロシア(事実上)
 ウクライナ(国際的な合意)
 連邦構成体 クリミアの旗 クリミア共和国
 基礎自治体 シンフェロポリ基礎自治体英語版
 市 シンフェロポリ
地理
面積  
  市域 102 km2
  市街地 89.2 km2
標高 350 m
人口
人口 (2019 / 2014年推計現在)
  市域 361,980人
    人口密度   3,535人/km2
  市街地 338,319人
    市街地人口密度   3,794人/km2
その他
等時帯 モスクワ時間 (UTC+3)
郵便番号 95000 - 95490
市外局番 +7 3652
ナンバープレート 82[1]
データはロシア(事実上)のものであり、ウクライナが定めたものとは一部異なる。
公式ウェブサイト : http://simgov.ru/

シンフェロポリシンフェローポリウクライナ語:Сімферополь, [sʲimfeˈrɔpɔlʲ] シムフェローポリロシア語:Симферополь, [sʲɪm⁽ʲ⁾fʲɪˈropəlʲ] シムフィローパリクリミア・タタール語:Акъмесджит アクメスジト)は、クリミア半島にある都市シムフェロポリシムフェローポリとも(長音符の有無は、アクセント位置を表すか否かの問題によるもの)。

行政区画ではシンフェロポリ基礎自治体(自治共和国ではウクライナ語: Сімферопольська міськрада, ロシア語: Симферопольский городской совет、共和国ではロシア語: городской округ Симферополь, ウクライナ語: міський округ Сімферополь)の中心地であり、同市のほかに複数の地区・都市型集落を含む。基礎自治体全体の面積は102平方キロメートル、人口は361,980人(2019年推定[2])。一方シンフェロポリ市のみの場合は面積89.2平方キロメートル、人口338,319人(2014年推定[3])。

名称[編集]

クリミア・ハン国時代には、「白いモスク」を意味するアクメスジト(またはアクメチェット)という名前で呼ばれていたが、1784年にクリミア・ハン国が滅亡し、クリミアロシア帝国に併合されると、ギリシア語で「有用な都市」を意味する(Συμφερόπολις)」(スュンフェロポリス)に由来するシンフェロポリに改称された。

歴史[編集]

クリミア・ハン国時代は、商業都市として栄えた。現在の市域は、このクリミア・ハン国時代の都市を直接の起源としている。1784年に、クリミアがロシア帝国に併合されると、シンフェロポリは、新設されたタヴリダ県の首都となった。

クリミア戦争中はロシア軍の後方支援基地とされ、多くの傷痍兵を収容した。市内の墓地には30,000名以上の兵士が葬られている。

十月革命後の内戦では、シンフェロポリは白軍ロシア軍ヴラーンゲリ将軍の拠点となった。シンフェロポリは、1920年11月13日赤軍に奪取され、翌1921年10月18日に新設された「クリミア自治ソビエト社会主義共和国」の首都とされた。

第二次世界大戦では、1941年11月1日から1944年4月13日まで、ドイツ軍による占領下に置かれ、シンフェロポリだけで22,000人を超える住民が死亡した。赤軍による奪還後、クリミア・タタール人強制移住が行われ、シンフェロポリからも全てのクリミア・タタール人が追放された。

1954年4月26日に、ペレヤースラウ条約300周年を記念してクリミアがロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国に帰属変更となり、シンフェロポリもウクライナの都市となった。

ソ連邦の崩壊後、シンフェロポリはウクライナ内のクリミア自治共和国の首都となった。

2014年2月、ウクライナの首都キエフにて2014年ウクライナ騒乱が発生して親EU寄りの政権樹立が模索されると、ロシア系住民の多いクリミア地方では、シンフェロポリを中心にロシアに求心力を求めるデモが発生するようになった。同月27日には、政府庁舎と議会が武装集団によって占拠され、ロシアの国旗が掲げられた[4]

その後、2014年3月17日にクリミア自治共和国がウクライナから独立しクリミア共和国の首都となった。そして翌日3月18日にはロシア領に編入され、ロシアの連邦構成管区クリミア共和国の首都となって今日に至る。

2014年クリミア連邦管区国勢調査によるとロシア人67.79%、ウクライナ人12.07%、クリミア・タタール人8.31%などの人口構成となっている。

気候[編集]

シンフェロポリの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 20.4
(68.7)
21.9
(71.4)
28.7
(83.7)
31.5
(88.7)
34.2
(93.6)
37.7
(99.9)
39.3
(102.7)
39.5
(103.1)
37.2
(99)
33.3
(91.9)
28.0
(82.4)
25.4
(77.7)
39.5
(103.1)
平均最高気温 °C°F 3.9
(39)
4.7
(40.5)
9.1
(48.4)
15.9
(60.6)
21.4
(70.5)
25.7
(78.3)
28.9
(84)
28.7
(83.7)
23.1
(73.6)
17.0
(62.6)
10.4
(50.7)
5.6
(42.1)
16.2
(61.2)
日平均気温 °C°F 0.2
(32.4)
0.4
(32.7)
3.9
(39)
9.9
(49.8)
15.1
(59.2)
19.5
(67.1)
22.3
(72.1)
22.0
(71.6)
16.9
(62.4)
11.3
(52.3)
5.8
(42.4)
2.0
(35.6)
10.8
(51.4)
平均最低気温 °C°F −2.9
(26.8)
−3.2
(26.2)
−0.3
(31.5)
4.8
(40.6)
9.5
(49.1)
13.9
(57)
16.5
(61.7)
16.1
(61)
11.2
(52.2)
6.8
(44.2)
2.2
(36)
−1.1
(30)
6.2
(43.2)
最低気温記録 °C°F −26.0
(−14.8)
−30.3
(−22.5)
−18.4
(−1.1)
−11.1
(12)
−8.4
(16.9)
0.7
(33.3)
3.6
(38.5)
3.8
(38.8)
−5.1
(22.8)
−11.4
(11.5)
−21.7
(−7.1)
−23.2
(−9.8)
−30.3
(−22.5)
降水量 mm (inch) 39
(1.54)
36
(1.42)
37
(1.46)
34
(1.34)
34
(1.34)
58
(2.28)
47
(1.85)
52
(2.05)
42
(1.65)
42
(1.65)
49
(1.93)
45
(1.77)
515
(20.28)
平均降雨日数 12 11 11 11 10 11 8 7 10 11 13 14 129
平均降雪日数 11 11 7 1 0 0 0 0 0 1 4 9 44
湿度 85 81 76 69 68 67 63 63 69 76 82 84 74
平均月間日照時間 86.8 101.7 164.3 210.0 282.1 315.0 341.0 316.2 261.0 204.6 114.0 74.4 2,471.1
出典:Pogoda.ru.net,[5] Hong Kong Observatory[6] for data of sunshine hours

産業[編集]

自動車食品等の製造業が盛んである。市内に拠点をもつ企業は約70社を数える。

交通[編集]

シンフェロポリとヤルタを結ぶトロリーバス

シンフェロポリは、鉄道駅、バスターミナルやシンフェローポリ国際空港シンフェローポリ・ザヴォーツィケ空港をもち、クリミア半島の交通の要衝となっている。また、シンフェロポリとヤルタ間の約86kmを結ぶトロリーバスen: Crimean Trolleybus)は世界で最も長いトロリーバス路線として知られている。

教育[編集]

高等教育機関は、タヴリダ国立大学をはじめ、農学、医学、生態学、工学、教育学の各大学が設置されている。また市内に12の中等学校、37の職業学校が設置されており、鉱物資源学研究所、国立科学アカデミーの考古学、東洋学研究所のクリミア支部、気象観測センター、地震観測所、「クリミア設計」「黒海天然ガス設計」といった設計事務所が設置されている。

名所[編集]

市の中心部

市内の名所は、大祖国戦争英雄像、芸術家記念像、クリミア・タタール人の民族離散記念碑が挙げられる。また、クリミアの県知事を務めたミハイル・セミョーノヴィッチ・ヴォロンツォフen:Mikhail Semyonovich Vorontsov)の宮殿や、1508年に創建されたイスラーム寺院(ケビール・ジャーミー)も有名な旧跡である。市の郊外にはスキタイ人の遺跡(en:Scythian Neapolis)も存在する。

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Для крымских автомобилистов приготовили новые номера”. Segodnya (2014年4月2日). 2015年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月9日閲覧。 (ロシア語)
  2. ^ KRYM/Subdivision”. Citypopulation.de (2019年8月1日). 2020年1月9日閲覧。
  3. ^ Crimea/Cities and Urban Settlements”. Citypopulation.de (2016年8月7日). 2020年1月9日閲覧。
  4. ^ クリミア:首都の庁舎を武装集団が占拠 ロシア国旗掲げる”. 毎日新聞 (2014年2月27日). 2014年2月27日閲覧。
  5. ^ Climate Averages for Simferopol”. 2013年12月3日閲覧。
  6. ^ Climatological Information for Simferopol', Ukraine - Hong Kong Observatory

関連項目[編集]