シンディ・ローパー
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| シンディ・ローパー | |
|---|---|
シンディ・ローパー(2008年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | シンシア・アン・ステファニー・ローパー |
| 出生 | 1953年6月22日(56歳) |
| 出身地 | |
| 職業 | 歌手 |
| 活動期間 | 1978年 - 現在 |
| 公式サイト | cyndilauper.com |
シンディ・ローパー(Cyndi Lauper、本名:シンシア・アン・ステファニー・ローパー(Cynthia Ann Stephanie Lauper)、1953年6月22日 - ) は、アメリカ合衆国の歌手、女優。歌手としてグラミー賞、俳優としてエミー賞の受賞経験のある、1980年代を代表するポップス歌手である。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 幼少期 - 1980年
1953年6月22日-ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン地区クイーンズ区において、ユダヤ系の血を引くスイスおよびドイツ系アメリカ人の父と、シチリア系アメリカ人の母との間に生まれる。5歳の時、両親が離婚。母親、姉、弟と共にクィーンズ近郊のオゾン・パークへ移住。
12歳の時に、ギターの弾き方を学び、作詞を始める。学校では周りになじめず、授業を受けるかわりに、絵を描いたり、歌を歌ったりして過ごす。17歳の時、自分のおかれている環境に嫌気がさし、高校を退学しついに愛犬スパークルと共に家をでる。(後の1968年、転校を繰り返した4校の高校のうち、ニューヨーク州リッチモンドにあるリッチモンド高校より名誉卒業生として認められることになり、卒業式にも出席した。) その間、生活のためウェイトレス、絵のモデル、競馬調教師の助手、空手教室の呼びこみ等様々な職につきながら、アートスクールに通ったり、トロント北部にある森でテントを張り、スケッチをしながら過ごした。カナダを旅行した後、ニューヨークに戻る。
ロングアイランド出身のバンドDoc Westに加入し、バックグラウンドシンガーとして活動するが、後に別のバンドFlyerに加入しリード・シンガーして働く。
1977年、歌い続けることによって喉を酷使してしまい声帯に損傷を受けたために声が出なくなり、1年間音楽活動を休止し、ヴォイス・トレーナー、ケイティ・アゲストラの指導のもと、集中的なヴォーカルトレーニングを受けて、歌声を取り戻す。
1978年、キーボード兼サックス・プレイヤーのジョン・テュリと知り合い、意気投合し、自身のバンドBlue Angelを結成する。
1980年、ポリドール・レコードより、アルバム『Blue Angel』でデビュー。多くの評論家に絶賛されたにもかかわらず、ロカビリーサウンドが理解されなかったり、商業的成功を収められず、バンドはその後すぐに解散。彼女は自己破産を申請し、小売店で働き始め、生活のためにまた歌い始める。
[編集] 1983 - 1989年
ブルーエンジェル解散後、活動を続けていた頃にマネージメントを手がけていたデビッド・ウルフと知り合い(その後ウルフはローパーの恋人兼マネージャーとなる)、ウルフの紹介を経て、ポートレート・レコードと契約を結ぶ。
ポートレートレーベルのエクゼクティブ・プロデューサー、レニー・ペッツやプロデューサーのリック・チャートフ、後にフーターズを結成する、ロブ・ハイマンザ・フーターズの全面的な協力によって制作されたアルバムで1983年に『シーズ・ソー・アンユージュアル/She's So Unusual』でソロ・デビュー。
1984年、ファースト・シングルの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」がヒット・チャートに急上昇して第2位に輝き、セカンドシングルの「タイム・アフター・タイム」は全米第1位になり、サードシングルの「シー・バップ」は第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5位とデビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなった。
第1回MTVミュージック・ビデオ・アワードで最優秀女性歌手賞を受賞し、ローリング・ストーン誌の1984年度の最優秀新人賞など数々の賞を総なめに。
映画『グーニーズ』のオリジナル・サウンドトラックに参加し、シングル「グーニーズはグッド・イナフ」も全米第10位のヒットとなった。
プロモーションのために初来日、フジテレビ系「笑ってる場合ですよ!」に出演。
シングル「タイム・アフター・タイム」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされるスタンダードとなる。
1985年、5枚目のシングル「マネー・チェンジズ・エヴリシング」は全米第27位になり、第12回アメリカン・ミュージック・アワードでは最優秀女性ポップ・ロック・ヴォーカル賞や最優秀女性ポップ・ロック・ビデオ・アーティスト賞を、グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀アルバム・パッケージ賞を受賞。USAフォー・アフリカの『We Are The World』のレコーディングに参加。とても印象深い熱唱を披露し、音楽監督のクインシー・ジョーンズに「アドリブ入れてもいい?」と尋ね、彼を喜ばせたという有名なエピソードも残している。
デビューしてわずかな時間で80年代を代表するシンガーとなり、パワフルなヴォーカル、独自のファッション性も話題となった。
1986年、2枚目のオリジナル・アルバム『トゥルー・カラーズ/TRUE COLORS』を発表。ファースト・シングル「トゥルー・カラーズ」は全米第1位を2週連続獲得し、セカンド・シングル「チェンジ・オブ・ハート」は第3位に、サード・シングルの「ホワッツ・ゴーイン・オン」は第12位に記録した。
1987年、映画『バイブス秘宝の謎』の撮影に入ってから、スランプに陥ってしまい、私生活ではマネージャーでもあり婚約者で共に暮らしていたデヴィット・ウルフと別離。
1988年、旧ソ連で行われた『米ソ・ソングライター・サミット』に参加したことが転機となり、様々な刺激を受けてスランプを抜け出すきっかけとなり活力を取り戻し、ほとんど出来上がっていたニュー・アルバムを白紙に戻して作り直して、1989年、3枚目のオリジナル・アルバム『ア・ナイト・トゥ・リメンバー/A NIGHT TO REMEMBER』を発表。自身初の全曲ラヴ・ソングとなった。
ファーストシングル「涙のオール・ナイト・ドライヴ/ I DROVE ALL NIGHT」は全米第6位を記録した。
[編集] 1990 - 2000年
デビュー前から思うがままに、自由奔放に活動していたが、デビューしてからの商業的成功や名声を得たことにより、レコード会社や周りのスタッフからサウンドの面から様々な面で制限され、創作活動の自由を失っていた頃、再び映画出演をし、『マイアミ・ムーン/Off And Running』の撮影がマイアミで始まる。
そんな頃にオノ・ヨーコからリバプールで行われる『ジョン・レノン生誕50周年コンサート』への参加を依頼され、「Hey Bulldog」「Working Class Hero」をローパー自身でアレンジし、バンドメンバーと演奏する。
さらにベルリンの壁崩壊を記念してベルリンで行われた、『ザ・ウォール・コンサート』に参加したり、湾岸戦争反対のためのプロジェクトにオノ・ヨーコやレニー・クラヴィッツ達と共に参加する。
第41回NHK紅白歌合戦出場。中継ではなく来日しての出演だった。
1991年、映画共演がきっかけで俳優の デヴィット・ソーントンと11月に結婚する。
1992年、ミュージカル『タイクーン』のサウンド・トラックに参加し、シングル「The World Is Stone」がヨーロッパ各国、特にフランスでは3ヶ月間トップ5内を記録するなど大ヒットする。
1993年、フーターズのロブ・ハイマン、エリック・バジリアンやアリー・ウィリス、夫のデビッド・ソーントンらの助けを借りて製作された4枚目のオリジナル・アルバム『ハット・フル・オブ・スターズ/HAT FULL OF STARS』を発表。ローパー自身で全曲曲作りに携わり、アルバム・カバーやさらにビデオ監督までプロデュースして全てを手掛けた。このアルバムはローパー自身がやりたいことを貫き通し、信じられる歌を歌い、周りの人たちにもっと自分の意見を提示してもいいことに気付き、妥協することなく製作された。自分の真実を語った新しいアルバムを一人一人に聞かせるために、アメリカでのクラブ・ツアーを行い、大きな話題を呼んだ。サンフランシスコのクラブのステージ上で、商業的な理由から外されたという8年の歳月を経て発表した「ア・パート・ヘイト」のことや自身の葛藤や苦悩を明らかにした。この年の年末、来日公演を行いその後、シンガポール、台湾と回る。
1994年、初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ/TWELVE DEADLY CYNS...AND THEN SOME』を発表。 全世界で400万枚以上のセールスを記録し、ワールド・ツアーも南米、ヨーロッパ、日本と行われた。
1995年、阪神・淡路大震災の被災者へ寄付。ツアーも引き続きイギリス、オランダ、アメリカと行われ年末に再来日公演を行った。
フジテレビ正月特番にも出演。本人によれば「正月のパーティーがあると聞かされた」とのこと。司会のひとりである明石家さんまを抱きかかえたりした。
1996年、5枚目のオリジナル・アルバム『シスターズ・アヴァロン/SISTERS OF AVALON』を発表。4年連続となる年末来日公演を行う。アルバムには上々颱風も参加しており、武道館公演のでは飛び入りでライヴに参加した。生田神社 (神戸市) の「震災復興節分祭」で豆まきを行うために来日。しかし、豆まきは参拝客が殺到してわずか2分で中止になる。
1997年、11月に44歳にして長男デクラン・ワレスを出産。念願だった子供を授かる。
1998年、クリスマス・ソングやクリスマスに関係した曲を集めた初のシーズナル・アルバム『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!/ Merry christmas...Have a nice life!』を発表。ジャケットには夫のデヴィット、ブックレットにはデクランと共に写っており、収録曲の「New Year's Baby(First Lullaby)」には当時乳幼児であったデクランの声が収録されている。このアルバムを最後にソニー・レーベルとの契約が一旦終わった。
1999年、『グラミー賞 Best Dance Recording』部門にノミネートされた「Disco Inferno」がJellybean Recordsから発売されクラブチャートでヒットし、シェールと共に3ヶ月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカのTV番組「Mad About You」に再出演したり、クリストファー・ウォーケンと共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動も精力的に行う。
2000年、映画『The Opportunists』が公開され、各方面で高い評価を受ける。またこの年、ジョニ・ミッチェル・トリビュート・コンサートに出演したり、シェリル・クロウ、ハート、ディスティニーズ・チャイルド達と共にガン撲滅のためのチャリティー・ライブ『Girls With Guitar Concert』に出演する。
[編集] 2001年 - 現在
2001年、坂本龍一の呼びかけで地雷撲滅の為のチャリティーレコード『Zero Landmine』に多くのミュージシャンと共に参加したり、この年9月にアメリカで起こった同時多発テロの為、当初予定より延期され、趣向を変更し開催された『ジョン・レノン・トリビュート・コンサート』に参加し、セントラル・パークで、「Strawberry Fields Forever」を歌う。
ロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲を収録したウィリアム・ウィットマンとの共同プロデュースで6枚目のオリジナルアルバム『SHINE』を完成させ、夏にEdel America Records(エデル・レコード)から発売される予定であったが、発売直前にEdel America Records が倒産し、アルバム発売は中止されてしまう。
2002年、アルバム『Shine』に収録予定であった曲の中から、それまでライブやイベント等で歌ってきてファンのリアクションの良かった曲を選曲し収録された5曲入りのミニアルバムがOglio Records(オグリオ・レコード) から発売される。また、ラスベガスで行われたディーバーズ・ライブにスペシャルゲストとして出演し、シェールとデュエットを披露した。その後再びシェールと共に6ヶ月にも及ぶ大規模な北米ツアーを行い、延べ100万人以上の観客動員数を記録し、ローパーの以前と変わらないライヴパフォーマンスに各方面から大きな賞賛を受ける。
またシェールとのツアーの合間には、ソロライブを行ったり、店頭でのサイン会&ミニライブを行うなど、原点に戻った地道な活動を行い、『Shine EP』はマイナーレーベルからの発売にもかかわらず、好セールスを記録した。
2003年、ソロ・ツアーやミート・ローフとのジョイント・ツアーを行うなど精力的にライブ活動を行う。ソニーと再契約を結び、幼少の頃に聴きながら親しんでいた1940年から1960年代の名曲をカヴァーしたカヴァー・フル・アルバム『アット・ラスト/AT LAST』を発表。10月下旬から、久々の大規模なソロ・ツアーが始まり、大晦日のニューヨークでは、タイムズ・スクエアでのニューイヤーズ・イブのイベントにも参加する。
2004年、諸事情(上記参照)でお蔵入りとなっていた6枚目のオリジナル・アルバム『シャイン/SHINE』を日本限定でフル・アルバムとして発表。6月には8年ぶりとなる日本ツアーが実現し、6都市全8公演を行い、変わらないパワフルなライブパフォーマンスを披露した。その後ツアーはオーストラリア、再び北米へと9月まで続けられる。2003年から続けられた『At Last Tour』の地元ニューヨーク公演を収めた、ライヴDVD『Live...At Last』が発売される。また、11月にオランダで行われた『Night of the Proms』に参加、12月にはノルウェーで行われた『ノーベル平和賞コンサート』にも参加した。翌年の2月に行われたグラミー賞では、『At Last』に収録された「Unchained Melody」が『Best Instrumental Composition Accompanying a Vocal』部門にノミネートされる。
2005年、ジェフ・ベック、サラ・マクラクラン、シャギー、アニー・ディフランコ、ヴィヴィアン・グリーン、パフィーなど、多くの豪華ゲストを迎えて、過去のヒット曲や人気曲を自らカヴァーしたセルフカヴァー・アルバム『ボディー・アコースティック/The Body Acoustic』を発表。 それにあわせて、プロモーション来日を果たし、様々なメディアに登場し、東京で開催された『GO LOHAS! 2005』のイベントでは、新作から3曲を披露した。 帰国後は北米ツアーを開始し、ツアーの合間にはアメリカン・ミュージック・アワードのステージで、サラ・マクラクランと「Time After Time」をデュエットで披露した。 アメリカ同性愛者支援団体参加。
2006年、『THE THREEPENNY OPERA(三文オペラ)』(ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲)で娼婦「ジェニー」役でブロードウェイ・ミュージカルデビューを果たし、4月から6月までSTUDIO 54にて出演。 6月に行われたトニー賞では、共演者のAlan Cummingとパフォーマンスを披露した。また、7月には同性愛者のオリンピック『ゲイ・ゲームズ』閉会式に出演した。
2007年、6月に多数のアーティスト達と『True Colors 2007 Tour』を行う。ツアーの目的は同性愛者の権利の擁護推進のためのもので、チケット1枚につき1ドルが『Human Rights Campaign』と題された人権擁護活動に寄付された。5時間にも及ぶ大規模なショーは北米16都市で公演されて大成功を収め、参加したアーティストが曲を提供した記念盤のCDが発売される。 また、8月にはペットショップボーイズ、シャギー等とともにシンガポールで行われたSingfestに参加した。 同8月、SUMMERSONIC 07 出演のために来日。11日の大阪舞洲サマーソニック特設会場、12日の千葉幕張メッセにて変わらないパワフルなライヴパフォーマンスをし、改めて高い評価や新たなファンを得た。その後、東京、名古屋で行われた単独ライヴでは、東京ではセカンド・アンコールが起こったり等、両日共に大盛況に終わった。
2008年5月14日に7枚目のオリジナル・アルバム『ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール/BRING YA TO THE BRINK』を発表。 オリジナル・アルバムとしては7年振り、メジャーでレコーディングしたフル・オリジナル・アルバムとしては12年振り。 TOYOTA MARK X ZiOのCFソングとしてOAされていた収録曲の『セット・ユア・ハート/SET YOUR HEART』をはじめ、全曲、ダンス・ミュージックとなっている。 アルバム発売日に合わせて来日し、東京 丸の内 丸ビル1F MARUCUBEにてニュー・アルバム発売記念ライヴをし、新曲を含めた数曲を披露。 靴を脱ぎ、ステージから降りて客席でパフォーマンスをしたり等、イベント当選者や仕事帰りの人々を楽しませ、様々なメディアにも出演した。 2008年9月にCYNDI LAUPER JAPAN TOUR2008と題し、12年振りの日本武道館公演を含む3都市全4回の来日公演が行われる。その後、ヨーロッパ、南米でのツアーを行う。
[編集] 人物
アーティスト・歌手
- デビュー当初は、古着の様な格好と後にハリウッドメイクと言われるメイクやハリウッドスマイルと呼ばれる上唇をめくり上げ四角く口をあけるユニークな笑顔などでメディアを驚かせた。
- 様々な曲調を歌いこなすことから「七色の声を持つ歌手」と称される[1]。
- デビューから現在まで変わらないパワフルなアーティスト活動や独自のファッションから「永遠のガール」と称されている。
内面
- 非常に思慮深く感受性が強い人柄で、一時期、急激に有名人になったことの戸惑いと、いつも注目を浴びることのプレッシャーから孤独感に苛まれ引きこもりがちになり、自身のパーティーでさえ、周りに人が集まれば集まるほど孤独を感じ、ホテルの部屋に閉じこもってしまい主役不在のことさえあったという。
[編集] 親日家・日本との交流
- 親日家で知られる。日本にはたびたび御忍びで訪れ、日本国内を旅行している。もっぱら移動手段は新幹線で、乗り込むとすぐにビールもしくは日本酒とスルメを買い込んで、一杯やりつつ車窓からの景色(特に富士山)を眺めるのが好きだとのことである。
- 来日公演で阪神タイガースの掛布雅之選手の縦じまのユニフォームを着たことがある。
- オノ・ヨーコと親交がある
- 社会活動に熱心であり、日本の有名な戦争悲話「かわいそうなぞう」のCDの英語吹き込みを担当した。2008年8月13日発売。「戦争は動物までも不幸にする」というメッセージを社会に向けて発信する。
- デビュー前の下積み時代、ニューヨークの日本料理店でウェイトレスのアルバイトをしていた。日本語は「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が初めて覚えた言葉である。
恩人との再会
- 1989年、日本の番組に出演した際にニューヨークの『ミホ』というジャパニーズレストランで働いていたことがあったと話した。いきさつは定職もなくブラブラしていた時にそのレストランを経営している鈴木サクエという日本人女性と出会い、「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘ってもらったとのこと。鈴木はシンディに限らず、シンディのバンド仲間やまだ活躍していない色んなアーティスト達を助けていた。鈴木は常にシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励をしていたという。この鈴木との出会いがシンディを超親日家とも言えるほどの日本贔屓にさせる切っ掛けとなった。番組では内緒で鈴木を探し出し、シンディの来日とは関係なくたまたま偶然に諸事情で日本に帰ってきていた鈴木とシンディはスタジオで再会を果たした。シンディは感激のあまり歌う前に涙ぐんでしまった。
ルーズソックス
- 1995年、『ニュースステーション』に出演した際に、当時社会現象となっていた女子高生の「ルーズソックス」のニュースにコメントを求められ、「あのソックスは格好いいし、いいじゃない?!」とスタッフの思惑と正反対のことを言い出し、「あの年頃の少女たちは、自分が何か特別の存在でありたいと願い、同時に一人で突出する勇気はまだない。そんな少女たちが社会においては特別な自分たちであるという主張としてのルーズソックスなのではないだろうか」と続け、コメントの最後に「でも誰が何と言おうとあのソックスは格好いい!」と結んだ。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- シーズ・ソー・アンユージュアル - She's So Unusual(1983年)
- トゥルーカラーズ - True Colors(1986年)
- ア・ナイト・トゥ・リメンバー - A Night to Remember(1989年)
- ハット・フル・オブ・スターズ - Hat Full Of Stars (1993年)
- グレイテスト・ヒッツ - Twelve Deadly Cyns...And Then Some(1994年)
- シスターズ・オブ・アヴァロン - Sisters Of Avalon(1996年)
- メリー・クリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ - Merry christmas...Have a nice life!(1998年)
- アット・ラスト - At Last(2003年)
- シャイン - Shine(2004年)
- ザ・ボディ・アコースティック - The Body Acoustic(2005年)
- シンディローパー はじめてベスト〜Mighty 80's(2007年)
- ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール - BRING YA TO THE BRINK(2008年)
- シンディ・ローパー・フロア・リミキシーズ(2009年)
[編集] シングル
- You Make Loving Fun(1977年)
- ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン - Girls Just Want to Have Fun(1983年)
- 発売当初の邦題は「ハイスクールはダンステリア」だった。1994年)に「Hey Now」として再レコーディングし、2005年には日本のPuffy Ami Yumiが参加して再々レコーディングしている。
- タイム・アフター・タイム - Time after Time(1984年)
- この曲は、マツダ・カペラワゴンや日産・プレサージュのCMに使われている。多くのアーティストにカバーされており、これまでにマイルス・デイヴィスをはじめ、タック&パティ、ナタリー、エヴリシング・バット・ザ・ガールなど、日本国内でも竹井詩織里(1ミニアルバム『The note of my twenty years』収録)、槇原敬之(1カバーアルバム『Listen To The Music 2』収録)、より子(1シングル『ココロの鍵』収録)、中山美穂(1アルバム『Blanket Privacy』)などにカバーされている。
- シー・バップ - She Bop(1984年)
- オール・スルー・ザ・ナイト - All Through the Night(1984年)
- マネー・チェンジズ・エヴリシング - Money Changes Everything(1984年)
- アイル・キス・ユー - I'll Kiss You(promo-only single)(1984年)
- ホエン・ユーワー・マイン - When You Were Mine(1985年)
- グーニーズはグッド・イナフ - The Goonies 'R' Good Enough (The Goonies: Original Motion Picture Soundtrack)(1985年)
- トゥルー・カラーズ - True Colors(1986年)
- チェンジ・オブ・ハート - Change of Heart(1986年)
- ホワッツ・ゴーイン・オン - What's Going On(1987年)
- ボーイ・ブルー - Boy Blue(1987年)
- メイビー・ヒル・ノウ - Maybe He'll Know(1987年)
- ホール・イン・マイ・ハート - Hole in My Heart (All the Way to China)(1988年)
- I Drove All Night(1989年)
- My First Night Without You(1989年)
- Heading West(1989年)
- A Night to Remember(1989年)
- Primitive(1990年)
- The World Is Stone (Tycoon: Various Artists)(1992年)
- Who Let In The Rain(1993年)
- Sally's Pigeons(1993年)
- That's What I Think(1993年)
- Hat Full of Stars(1993年)
- Hey Now (Girls Just Want To Have Fun)(1994年)
- I'm Gonna Be Strong ('94 Version)(1994年)
- Come On Home(1995年)
- You Don't Know(1996年)
- Sisters of Avalon(1997年)
- Ballad of Cleo and Joe(1997年)
- Early Christmas Morning (Japan-only)(1998年)
- Disco Infern (A Night at the Roxbury Soundtrack)-1999年)
- Shine(2001年)
- Walk on By(2003年)
- Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do)(2004年)
- Stay(2004年)
- Time After Time (with Sarah McLachlan)(2005年)
- Above the Clouds (with Jeff Beck)(2005年)
[編集] VHS・ DVD
- In Paris(1987年)
- Twelve Deadly Cyns...And Then Some(1994年)
- Live...At Last(2004年)
[編集] Blue Angelのディスコグラフィ
アルバム
- ブルー・エンジェル - Blue Angel(1980年)
シングル
- I'm Gonna Be Strong(1980年)
- I Had a Love(1980年)
- Late(1980年)
- Fade(1980年)
[編集] 映画
- バイブス秘宝の謎 - Vibes(1988年)
- マイアミ・ムーン - Off And Running(1991年)
[編集] テレビCM
[編集] テレビ
- 音楽番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』でオープニングナレーションを担当。
[編集] 日本公演
- 1986年 True Colors Tour
- 1989年 A Night To Remember Tour
- 1991年 American Music Awards Concert Series
- 3月20日・21日 横浜アリーナ
- 1993年 Hat Full of Stars Tour
- 12月12日 NHKホール、13日 ゆうぽうと簡易保険ホール、14日 仙台サンプラザ、17日 名古屋センチュリーホール、20日 名古屋メルパルクホール、21日 福岡市民会館、22日 神戸国際会館、24日 名古屋ヒルトンホテル、25日 松本市文化会館
- 1994年 Hat Full of Stars Tour
- 1月3日 渋谷クラブクアトロ、5日 ゆうぽうと簡易保険ホール
- 1994年 Twelve Deadly Cyns Tour
- 1995年 Twelve Deadly Cyns Tour
- 1996年 Sisters of Avalon Tour
- 2004年 The At Last Tour
- 2007年 SUMMERSONIC 07
- 8月11日 大阪舞洲サマーソニック特設会場,12日 千葉幕張メッセ
- Japan Tour 07
- 8月14日 SHIBUYA-AX、15日 名古屋ダイアモンドホール
- 2008年Japan Tour 2008
[編集] 脚注
- ^ 2008年6月号「日経エンタテインメント!」