シャーリー・テンプルの出演作品

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シャーリー・テンプルの出演作品(シャーリー・テンプルのしゅつえんさくひん)は、シャーリー・テンプルの出演した作品についての一覧と、作品紹介である。


作品一覧[編集]

初期の短編映画の主役と長編映画の端役の時代[編集]

フォックス映画の主役時代[編集]

この時期の作品は、子供たちと親を対象にしたいわゆる家族向け映画がほとんどである。家族向け映画は、一家で観客になってくれることが見込まれることから、市場として大きい。また、ヒットした場合家族以外の層も観客になってくれる可能性がある。そのため、アメリカでは、家族向け映画の場合はしばしば大きな予算をかけた作品が作られている。シャーリーテンプルの映画も大きな予算をかけた作品がほとんどであり、現在見ても時代をあまり感じさせない作品が多い。この時代の彼女の映画はアメリカでは現在でも需要が多い。

MGM映画の主役時代[編集]

セルズニック・プロダクション等の主役時代[編集]

この時代の彼女の作品は多くがティーンを対象としたいわゆる「ティーン映画」である。「ティーン映画」の観客は通常ティーンのみであり、市場としては家族向き映画に比べてはるかに小さいため、家族向き映画に比べて小規模の予算で作られる。またティーンは、その時代その時代の「ティーン映画」のみに興味を持ち、過去の「ティーン映画」には興味は持たないものである。この時代に作られた「ティーン映画」は、エリザベス・テーラーのものであれ、誰のものであれ現在ほとんどアメリカのテレビでも放映されなくなっている。シャーリーの「ティーン映画」も放映される機会が少なくなっているが、マネー・メイキングスター10位以内には入らなかったものの、決してこの時代に人気が落ちたということではなかった。人気が落ちるとBクラスの作品へ移っていくが、彼女の場合は最後の作品まできちんと予算をかけたAクラスの作品であった。ちなみに彼女の最後の映画は「A Kiss for Corliss」であるが、彼女が配役の一番トップにおりかつ配役の二番目に大スターの共演者(デヴィッド・ニーヴン)がおり、ちゃんと黒字になっている。また10年後にテレビに出演する際も破格の扱いであった。

テレビ出演[編集]

『シャーリー・テンプル・ストーリーブック』は、アメリカのテレビの3大ネットワークのひとつであるNBCネットワークで1958年1月12日から1958年12月21日にかけて放映されたテレビ・シリーズである。全部で16本の作品が作られた。日曜の夜8時から9時までの枠で放映された。主題歌は、ディズニーの長編アニメーション『シンデレラ』の歌を書いたマック・デイヴィッドとジェリー・リヴィングストンのコンビによる「ドリーム・アー・メイド・フォー・チルドレン」であった。このシリーズは、同じくテレビの3大ネットワークのひとつであるABCネットワークで1959年1月12日から1959年12月21日にかけて再放映された。

『シャーリー・テンプル・シアター』は、ABCネットワークで1960年9月18日から1961年9月10日にかけて放映された。全部で25本の作品が作られた。主題歌は、「ザ・エンチャンティッド・メロディ」であった。

どちらも毎回完結物の類似したシリーズで、おとぎ話や児童文学の古典名作のテレビドラマ化であった。ともにシャーリー・テンプルはホスト役として劇の前後に顔を見せ、ナレーションを担当し、主題歌を歌った。この二つを合わせて便宜的に「シャーリー・テンプル・ショウ」と総称することもある。(英語版ウィキペディアでは、どちらもNBCネットワークで放映されたと書いてあるが、完全な間違いである。)

最初彼女は出演には消極的であったが、最終的には劇に出演する可能性も含めることになった。出演するかどうか彼女に選択権が与えられた。例えば、第1回目の『美女と野獣』の回は彼女が消極的だったので、野獣役のチャールトン・ヘストンの相手役はクレア・ブルームになった。しかし、『人魚姫』のヒロインや『オズの虹の国』のオズマ姫や『お姫様とゴブリンの物語』のアイリーン姫や『七破風の館』のフィービなどシャーリー・テンプルが主役を演じている回も多い。全部で41本の作品が作られ、彼女はそのすべてのホスト・ナレーション・主題歌を担当し、さらにそのうち13本の作品の劇に出演している。(日本でも『シャーリー・テンプル・ストーリーブック』と『シャーリー・テンプル・シアター』はそれぞれ『おとぎの国1―シャーリー・テンプル劇場』および『おとぎの国2―シャーリー・テンプル劇場』という名前で昭和36年4月からと、昭和38年10月からNHKテレビで金曜の午後7時半から放映された。シャーリーの声は武藤礼子が吹き替えた。後にフジテレビで『シャーリー・テンプル・ショー』という題で再放映があった。)

この作品は、この時期のアメリカでの放映の目玉になる番組であり、最初の回はスタジオで生放送で放送されたが、残りはカラーのビデオで撮影された。アメリカの最初期のカラー放映の番組のひとつである。(映像資料をシャーリー・テンプル自身が保存しており、現在レジェンド・フィルムズの手でカラーの退色を修復したものが、アメリカでは流通している。)

この作品は、当時のテレビ番組としては破格の予算をかけたものであったが、当時から問題が一つ指摘されていた。シャーリー・テンプルは、1ヶ月に3日しか撮影に割かなかったので、ロケができずすべてスタジオで撮影した。また東部のテレビ局のスタジオではなくカリフォルニア州アサートンのシャーリー・テンプルの自宅により近いカリフォルニア州バーバンクのスタジオを使用した。そのためセットが、スタジオに運び込んで組み立てがすぐできて3日間で撮影が行えるような、持ち運びのしやすい、セットだということがすぐ分かるようなセットになってしまったのであった。

以下、シャーリー・テンプルが、ホストと歌だけでなく、劇中に出演している回を挙げる。

  • シャーリー・テンプル・ストーリーブック
2回目『ルンペルシュティルツヒェン』(グリム童話
4回目『スリーピー・ホローの伝説』(ワシントン・アービング
16回目『マザー・グース』(伝承童謡によるミュージカル)
  • シャーリー・テンプル・シアター
1回目『オズの虹の国』(ライマン・フランク・ボーム
3回目『クマのプーさん』(A・A・ミルン
6回目『リトル・メン』(ルイザ・メイ・オルコット
9回目『おひとよしのりゅう』(ケネス・グレアム
12回目『七破風の館』(ナサニエル・ホーソン
14回目『ベイブス・イン・トイ・ランド』(グレン・マクドノーの子供向け古典ミュージカル)
18回目『ザ・テリブル・クロックマン』(ジュール・ヴェルヌ
20回目『オナワンダ』(ルイザ・メイ・オルコット)
22回目『人魚姫』(ハンス・クリスチャン・アンデルセン
24回目『お姫様とゴブリンの物語』(ジョージ・マクドナルド

伝記映画[編集]

  • 『シャーリー・テンプル物語』Child Star:Shirley Temple Story(ウォルト・ディズニー)(2001)

脚注[編集]