シャルロッテ・フォン・ベルギエン
マリー=シャルロット・アメリー・オギュスティーヌ・ヴィクトワール・クレマンティーヌ・レオポルディーヌ(Marie-Charlotte Amélie Augustine Victoire Clémentine Léopoldine, 1840年6月7日 - 1927年1月19日)は、ベルギー国王レオポルド1世と王妃ルイーズ=マリーの第1王女。オーストリア大公・メキシコ皇帝マクシミリアンの妃。ドイツ語名シャルロッテ(Charlotte von Belgien)。スペイン語名はカルロータ(Carlota de Bélgica)。ベルギー国王レオポルド2世は兄で、その娘ステファニーがマクシミリアンの甥ルドルフ皇太子の妃となっている。
1857年7月27日、ハプスブルク家のマクシミリアンと結婚。イタリア、トリエステのミラマール城に住む。マクシミリアンとシャルロッテは互いに愛し合っていたが、シャルロッテは、王女であるのに皇后ではなく大公妃という身分である事に強い不満を感じていた。
1864年、夫マクシミリアンのメキシコ皇帝即位に伴い、シャルロッテはメキシコ皇后の座に座ることとなり、メキシコシティのチャプルテペック城に居を構える。しかしマクシミリアンはメキシコ皇帝といってもフランス皇帝ナポレオン3世の傀儡にしか過ぎず、1866年1月15日、ナポレオン3世がメキシコ駐留フランス軍の引き揚げを決定すると、臨時大統領ベニート・フアレスの指揮する抵抗運動に押され苦境に陥る。そこでシャルロッテは支援を求めてヨーロッパに渡り、パリではナポレオン3世の説得にあたり、バチカンではローマ教皇ピウス9世に謁見するが、いずれも失敗。シャルロットは次第にパラノイアの症状を呈しはじめ、兄フィリップは精神科医にシャルロットを診察させる。精神科医は彼女の発狂を宣告、シャルロッテはミラマール城に幽閉される。
1867年、夫マクシミリアンがベニート・フアレスの臨時政府軍に捕えられ、銃殺刑となる。マクシミリアンの最期の言葉は「かわいそうなシャルロッテ!」だったという。
その後シャルロッテは故国ベルギーに戻り、メイズのバウハウト城に幽閉されたまま長い人生を送る。第一次大戦中、城の周囲はドイツ軍に占領されたが、城自体にドイツ軍が侵入することはなかった。オーストリアはドイツの同盟国であり、シャルロッテはオーストリア皇帝の義理の妹にあたるからである。
シャルロッテは、自分はまだメキシコの皇后であり、夫マクシミリアンはまだ生きていてすぐに帰ってくると信じていた。彼女はいつも「マックス」と名付けられた小さな人形と一緒に寝ていたと言われている。
シャルロッテは1927年、発狂したまま86歳で死去した。