シャルル (ヴァロワ伯)

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シャルル・ド・ヴァロワ
Charles de Valois
ヴァロワ伯
アンジュー伯
在位 ヴァロワ伯:1284年 - 1325年
アンジュー伯:1297年 - 1325年

称号 名目上のラテン皇帝
出生 1270年3月12日
フランス王国ヴァンセンヌ
死去 (1325-12-16) 1325年12月16日(55歳没)
フランス王国ペレ
埋葬 フランス王国サン・ドニ大聖堂
配偶者 マルグリット・ダンジュー
  カトリーヌ1世・ド・クルトネー
  マオー・ド・シャティヨン
子女 一覧参照
家名 カペー家 / ヴァロワ家
父親 フィリップ3世
母親 イザベル・ダラゴン
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シャルル・ド・ヴァロワ(Charles de Valois, 1270年3月12日 - 1325年12月16日)は、フランス王フィリップ3世と最初の妃イザベル・ダラゴンの息子でフィリップ4世の弟。ヴァロワ家の祖であり、1328年に即位したフィリップ6世の父である。1284年に父フィリップ3世によりヴァロワ伯に叙せられ、また1297年に兄フィリップ4世によりアンジュー伯に叙せられた。妻カトリーヌ1世・ド・クルトネーを通してラテン帝国の皇族の親戚にあたり、滅亡したラテン帝国の名目上の皇帝とされた。フィリップ2世は高祖父、ルイ8世は曽祖父、ルイ9世は祖父、ジャン2世は孫、シャルル5世は曾孫、シャルル6世は玄孫、シャルル7世は来孫、ルイ11世とルイ12世は昆孫、シャルル8世とフランソワ1世は仍孫、アンリ2世は雲孫である。

生涯[編集]

軍事能力に長け、兄王の起こした戦争の司令官として輝かしい武功を立て続けた。

1300年から教皇ボニファティウス8世の要請で、フィレンツェの内乱を調停するために出かけているが、かえって暴動と混乱をあおる結果となった。

家族[編集]

1290年ナポリ王カルロ2世の娘で又従妹であるマルグリット・ダンジュー(1273年 - 1299年)と結婚し、2男4女をもうけた。

1302年ラテン帝国の名目上の女帝で先妻の従妹、自身の又従妹であるカトリーヌ1世・ド・クルトネー(1274年 - 1308年)と結婚し、1男3女をもうけた。

  • ジャン(1302年 - 1308年) - シャルトル伯
  • カトリーヌ(1303年 - 1346年) - ターラント公およびアカイア公フィリッポ1世(マルグリット・ダンジューの弟)と結婚
  • ジャンヌ(1304年 - 1363年) - ロベール3世・ダルトワと結婚
  • イザベル(1305年 - 1349年)

1308年にサン=ポル伯ギー4世・ド・シャティヨンの娘マオー・ド・シャティヨン(1293年 - 1358年)と結婚し、1男3女をもうけた。

参考文献[編集]

先代
ヴァロワ伯
1284年 - 1325年
次代
フィリップ