シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ

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シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ

シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ(Charles-Auguste de Bériot, 1802年2月20日 - 1870年4月8日[1])は、ベルギーヴァイオリニスト作曲家パリジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティピエール・バイヨに学び、各地を演奏旅行、1843年よりブリュッセル音楽院ヴァイオリン教授を務めた。ルーヴェン出身。

典雅な奏法で知られる19世紀のフランス・ベルギー(フランコ・ベルギー)楽派の創始者[2]として有名であり、アンリ・ヴュータンを育てた。

七月革命の起こった1830年、歌手のマリア・マリブランとイタリアに駆け落ちし、5年後に正式に結婚するが、翌1836年に乗馬事故により死別した。1852年に視力の障害から引退に追い込まれ、1858年失明。さらに1866年には左腕の麻痺により創作活動もできなくなった。1870年ブリュッセルで死去。

10曲のヴァイオリン協奏曲(第5番ニ短調作品55、第7番ト長調作品76、第9番イ短調作品104等)、「バレエの情景」作品100(1855年)、「セレナード」作品124等のヴァイオリン用の曲が知られている。現在ではコンサート用としてよりもむしろ教育用のレパートリーとして取り上げられることが多い。

マリブランとの間に生まれた息子のシャルル=ウィルフリッド・ド・ベリオ(Charles-Wilfrid de Bériot、1833年-1914年)はピアニスト・作曲家になり、エンリケ・グラナドスモーリス・ラヴェルリカルド・ビニェスらを教えた。

脚注[編集]

  1. ^ Charles-Auguste de Bériot Belgian violinist Encyclopædia Britannica
  2. ^ フェリスはド・ベリオについて、「ヴィオッティによって打ち立てられ、ロードやバイヨによって例証された古典的なフランス派(the classical French school)と区別されるフランコ=ベルギー奏派(Franco-Bergian school of violinists)の創始者として考えられるだろう」と記している。(Ferris, George Titus (1892). The Great Violinists and Pianists. D.Appleton and company. p. 149. OCLC 476116049 )

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