シボレー・ベル・エアー

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シボレー・ベル・エアー(Chevrolet Bel Air)は、GMグループのシボレー部門で1953年から1975年まで生産され、カナダに生産拠点を移して1981年まで生産が続けられた。1950年から1952年に、ベル・エアーの名を冠してシボレーの上質で高級なモデルとしてデザインされたが、生産には至らなかった。

初代(1953-1957)[編集]

第1世代

1953年、ベル・エアーが上級シリーズとしてデビューし、2つの下級シリーズ150と210が登場した。1955年、シボレーはV8エンジンをオプションに組み入れた。1955年シボレーのフルサイズ・モデルがモデルチェンジを受け、エンスージアストから「ホット・ワン」と呼ばれるようになった。

フォードプリムスとは異なり、シボレーのデザインは洗練されていると捉えられた。ベル・エアーは、インテリア・カーペット、ハードトップのクロームのヘッドライナー・バンド、フロント・フェンダーの突き出し、クロームの窓枠、フルカバーのホイールが特徴となっていた。

1955年1956年、特に1957年のベル・エアーは、いつの時代を通じても、最もアメリカ車らしい1台であり、継続してエンスージアストの間で人気が高い。十分な空間、高燃費など、この後の20年間、デトロイトで製造されたオーバーサイズでオーバーに飾り付けられたフルサイズ・モデルよりも上質であると、多くの人々に受け止められた。1955年から1957年、2ドア・ノマド・ステーションワゴンがベル・エアー・シリーズに加わった。

2代目(1958)[編集]

第2世代

1958年、シボレーの各モデルは、それまでの古いモデルよりも幅が広く、全長が長く、より重くなった。インパラがシボレーの最上級モデルとなり、次いで中型車のベル・エアーが位置づけられた。車の供給としては、ビスケイン(正式には210)、とデルレイ(正式には150)がこの年のモデル・シリーズを補完する形となった。ベル・エアーも1958年には、ショールームに客を呼ぶためのモデルが加わった。不景気にも拘わらず、シボレーはナンバー1自動車メーカーとなり、ベル・エアーはその評判の中核を担っていた。

3代目(1959-1965)[編集]

第3世代

1959年シボレーインパラを最上級、ベル・エアーを中間モデルと位置づけた。デルレイの製造が中止されたが、ビスケインは最安価なフルサイズ・モデルとして製造が継続された。また、多くのオプションとアクセサリーがインパラとベル・エアーの間で共用できた。

4代目(1966-1981)[編集]

第4世代

1960年代後半、ベル・エアーとビスケインは概ね多くの車を所有する会社などに販売された。しかし、ベル・エアーは格下のビスケインよりも、基本に忠実で、無駄な飾りがないフルサイズの車を欲する個人のユーザーにも販売されていた。6気筒エンジンと3速マニュアル・ミッションがスタンダードであったが、1973年にはオートマチックトランスミッションが、1971年から製造されていたV8のベル・エアーに限り選択可能となった。1973年は、I6エンジンで1,400台が生産され、エンジンとトランスミッションがこの年の終わりまで製造された。1974年1975年に製造されたベル・エアーは全てV8エンジンとターボ・ハイドロマチック・トランスミッションを標準として製造された。ビスケインの製造が1972年に終了した時、ベル・エアーは最廉価モデルへと格下げされた。最後のベル・エアーが製造されたのは1975年である。また、シボレーのカナダ支部は、フルサイズの最廉価モデルとしてベル・エアーの製造を1981年まで継続した。

関連項目[編集]