ザ・デイ・アフター

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ザ・デイ・アフター
The Day After
監督 ニコラス・メイヤー
脚本 エドワード・ヒューム
製作 ロバート・A・パパツィアン
音楽 デヴィッド・ラクシン
撮影 ゲイン・レシャー
編集 ロバート・フロリオ
ウィリアム・ポール・ドーニッシュ
配給 日本の旗 松竹富士
公開 日本の旗 1984年1月
上映時間 127分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
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ザ・デイ・アフター』(原題: The Day After)とはアメリカ合衆国で1983年に製作され高視聴率を記録したテレビ映画。放送時間は2時間7分でABCネットワークが1983年11月20日に放送した。

レーガン政権下の軍備拡張競争による冷戦下における米ソ対立の深刻化という国際的背景があり、第三次世界大戦勃発による核兵器実戦使用の恐怖が描かれている。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


目次

あらすじ [編集]

米ソ対立がエスカレートした結果、西ベルリン封鎖を端緒にして東西ドイツ国境においてソビエト連邦率いるワルシャワ条約機構軍(WTO軍)が西ドイツに侵攻、それに対するアメリカ側の北大西洋条約機構(NATO)軍はその侵攻を核地雷などにより防ごうとする(ブリュッセルのNATO事務局がWTO軍の核攻撃を受けて壊滅した)。

一方の舞台であるアメリカ中部のカンザスシティは平和な町であったが、東欧での米ソ間の武力衝突により、ついに全面核戦争が勃発した(どちらが先に実行したかは作中では明らかにされていない)ため、市内にあるミサイルサイロから東側陣営の都市に向けてICBMが射出され、またソ連からもミサイル攻撃を受けた。着弾まで30分しかないなか、市民はパニック状態に陥りハイウェイに殺到する。しかし数発のミサイルが炸裂しカンザスシティは米ソの多くの大都市と同様に一瞬のうちに壊滅した。

米ソ間で休戦協定が締結された(内容については直接の言及は無い)ため、即座に人類が滅亡したわけではなかった。しかし本当の地獄はその日の後(The Day After)から始まったのであった。つまり、核爆発にともなう破壊から生き残った人々にも放射線障害による死の影からは逃れられなかったのである。

反応 [編集]

アメリカでは1983年11月20日ABCテレビで放送。約1億人が視聴し(視聴率46%、占有率62%)核戦争の恐怖に対する衝撃を与えた一方で、政治的メッセージが強すぎるとの反対意見もアメリカ国内であった。またバスタブにつかる女性の死体など映像が衝撃的であったが、広島長崎被爆者とは違い焼け爛れた遺体は出ていない。この措置はテレビ局側の自主規制が原因であるとされている。この作品はエミー賞の12部門にノミネートされ、2部門で受賞した。

日本では、アメリカTV放送から約1ヶ月後の1984年1月に松竹富士系列で劇場公開されたが、興行的には失敗だったと言われる。その約9ヶ月後、同年(1984年)10月21日テレビ朝日日曜洋画劇場」で当時としては異例のスピードでTV放映送され、30.0%の高視聴率(2011年11月現在「スーパーマン」「エマニエル夫人」に次ぐ「日曜洋画劇場」歴代視聴率第3位)をあげた。その約9ヶ月後、1985年8月11日に同枠(日曜洋画劇場)で再放映された。

スタッフ [編集]

キャスト [編集]

関連作品 [編集]

参考文献 [編集]

  • 乾直明『外国テレビフィルム盛衰史』晶文社1990年、p438-p439

外部リンク [編集]