ザカリアス・ムサウイ

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ザカリアス・ムサウイ

ザカリアス・ムサウイアラビア語: زكريا موسوي Zacarias Moussaoui1968年5月30日 - ) はフランス市民権を有するモロッコ出身者の子で、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件に関与したとされアメリカ合衆国において裁判にかけられている人物。2001年8月16日にFBIによって逮捕された。ミネソタ州イーガンの航空訓練学校に入学していたムサウイの入学動機を教官が疑問に思い通報したのがきっかけであった。

テロが実行された後にムサウイは「20人目の実行犯」としてメディアの注目を浴びた。2006年5月3日に陪審は仮釈放なしの終身刑を宣告し、公式には翌日に言い渡された。APによると、陪審のうち3人は彼が限られたテロに関する知識しか持たなかったとし、さらに3人が彼が果たした役割は小さなものであったと結論づけた。


人生[編集]

子供時代[編集]

ムサウイの母親Aicha el-Wafiは14歳のときに結婚。5年後に彼の両親はフランスに移住し、ムサウイはそこで生まれた。彼女は4人の小さな子供を抱えていたが、家庭内暴力により離婚、掃除婦として生計を立てながら子供達を育てた。家庭内では宗教的な教育はなかったという。モロッコからの移民として、暴力や窃盗を含む偏見を受けた。ムサウイは学校で特にバスケットボールを好んだが、スポーツの道を進みたかった彼は失望することとなる。

軍事訓練[編集]

ムサウイはオクラホマにいた間、"Abu Khaled al Sahrawi"また"Shaqil"という名前で知られていた。 彼はロンドン・サウスバンク大学において国際ビジネスの修士号を持っていた。彼はブリクストンモスクで、後に"Shoe Bomber"として知られるようになるリチャード・レイと知り合い、過激派としての一歩を踏み出すことになる。後にムサウイは戦闘服にバックパックといういでたちでモスクに現れ、ジハードに参加するための情報を聖職者に求めたことが原因でモスクを追い出される。ムサウイはアブ・ ハムザ・アル・マスリが訓練を受けたフィンズベリー・パーク・モスクとも関係があると見られている。

フランス当局はロンドンでイスラーム過激派といるのに気付いた1996年にムサウイの監視を始めた。1998年、アフガニスタンのハルデン訓練所に通い、翌年同様に帰国したといわれている。2000年9月、マレーシアに行き、ムサウイを会社の代表ということにしたヤジド・スファート所有のマンションに滞在した。9/11ハイジャック犯のうち2名が2000年1月にマンションに住んでいた。ジェマ・イスラミアの指導者リドゥアン・イスマウッディンは、35000ドルを払ってムサウイを提供し、10月にマレーシアに文書を運んだ。

操縦訓練[編集]

2001年2月26日から5月29までムサウイはオクラホマ州ノーマンのエアマン飛行学校の訓練課程に通った。50時間以上費やしたにもかかわらず、試験に合格せず、免許を取れずに退学した。この学校にはワールドトレードセンターの南北の棟にそれぞれ突っ込んだモハメド・アタMarwan al-Shehhiが参観した。アタとal-Shehhiはフロリダ州ヴェニスの学校で訓練を受けた。

オクラホマ州ノーマンではムサウイはフセイン・アルアッタスというルームメートがいた。2001年8月11日、フセイン・アルアッタスはオクラホマ州からミネソタ州にムサウイを車に乗せて行った[1]。フセイン・アルアッタスは二人が2001年8月後半か9月前半にニューヨーク市に旅行に行く予定だったと言った。2002年、アルアッタスはFBIに嘘をついてムサウイの名前を秘密にし、ムサウイのジハードと反米の信念を隠し、ムサウイがジハードの活動家にしようとしていたことを隠し、オクラホマ州で飛行訓練を受けている他の中東人の名前を隠したことを認めた[2]

8月前半、ビナルシブから(当初はドイツのデュッセルドルフとハンブルクから)電子振替で14000ドルを受け取ったといわれている。この金はミネソタ州イーガンのPan-Am国際飛行学院で約2週間後に受ける訓練の助けになるものであった。8月13日、ムサウイは747-400フライトシミュレーターの訓練を受けるために100ドル紙幣で6800ドルを支払った。パンナムが使うこのシミュレーターは、ノースウエスト航空宇宙訓練会社(NATCO、ノースウエスト航空と提携している訓練設備)が使っていた。

ムサウイを担当する講師クランシー・プリヴォストは、ムサウイを疑い始めた。ムサウイの素行が、これまでに入学した生徒がジャンボジェットを恐らく使ったことがない事実にもかかわらず訓練を受けにきた見た目は裕福な生徒と変わりはなかったが、実際は違っていた。プリヴォストは後に事前教習でムサウイが正しい隠語は何か聞こうとしたが他の生徒ではありえないことだと語った。ムサウイは747の実技教習本は読んでいたが、飛行機のシステムは余り理解していなかった。プリヴォストは何故この男がシミュレーションを受けようとするのか困惑した。幾つかの点で確信を持ち、FBIに連絡し、FBIが会いに来た。(後に言われているような離陸と着陸の訓練をムサウイがしなかったことはない。)

逮捕[編集]

2001年8月16日、ムサウイはミネソタ州でFBIのハリー・サミットに逮捕され、入国管理法違反で告発された。FBIの中には飛行訓練が軍事目的ではないかと懸念するものがいて、その為にミネソタ州当局はラップトップコンピューターを調査しようとしたが、却下された。逮捕された時、ナイフ2丁と747操縦教本、フライトシミュレーターのコンピュータープログラム、飛行手袋と脛当て、クロップダストに関する情報の入ったCDを持っていた。

捜査を指揮したのは、ムサウイの私室を捜査したいと明確に示したコリーン・ローリー捜査官であった。この請求は上司に却下され、後に外国情報監視法(FISA)により(9.11事件後にパトリオット法により改定された)正式に却下された。更に数回試みたが、同じく却下された。その結果、早期に証拠を収集することはできなかった。

FBIを監視するチャック・グラスリー上院議員(民主党、アイオワ州)は後にロバート・ミューラーFBI長官に手紙を書いた。

FISAの規定を適用したいなら、捜査官はドイツの主な資金源も情報機関が監視している間に少なくとも2人のハイジャック犯と会ったマレーシアのアルカイダ幹部との関係をムサウイに関する情報として見出したことでしょう。


関連記事[編集]

外部リンク[編集]