サン=ラファエル (ヴァール県)

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Saint-Raphaël
Blason ville fr Saint-Raphaël (Var).svg
MairieStRaphaël.JPG
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(département) ヴァール県
(arrondissement) ドラギニャン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 83118
郵便番号 83700, 83530
市長任期 ジョルジュ・ジネスタ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de Fréjus Saint-Raphaël
人口動態
人口 34,269人
2009年
人口密度 383人/km²
住民の呼称 Raphaëlois[1]
地理
座標 北緯43度25分31秒 東経6度46分06秒 / 北緯43.425178度 東経6.768377度 / 43.425178; 6.768377座標: 北緯43度25分31秒 東経6度46分06秒 / 北緯43.425178度 東経6.768377度 / 43.425178; 6.768377
標高 平均:m
最低:0 m
最高:560 m
面積 89.59km² (8959ha)
Saint-Raphaëlの位置(フランス内)
Saint-Raphaël
Saint-Raphaël
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サン=ラファエルSaint-Raphaëlプロヴァンサル語:Sant Rafèu)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏ヴァール県コミューン

地理[編集]

サン=ラファエルはフレジュス湾の端に位置し、東はアルプ=マリティーム県と接している。24マイルの長さになる海岸線を持つ。サン=ラファエルには4箇所の広い砂質の海水浴場がある。

交通[編集]

  • 道路 - A8
  • 鉄道 - サン=ラファエル-ヴァレスキュール駅。TGVのほかTERプロヴァンス・アルプ・コート・ダジュールの路線が停まる

由来[編集]

最初に名前の知られた1065年から現在まで、サン=ラファエルの名称である。この頃大天使ラファエルに捧げられた教会が建てられ、要塞化された村、カストゥルムとなっていた。1073年の名はSanctus Raphaëlであった。

歴史[編集]

カッシーニ地図に描かれたサン=ラファエル
エストレル山地とサン=ラファエルの町並み
20世紀初頭の海水浴場

マッサリアのギリシャ人がこの一帯を植民地化する以前、リグリア人たちが征服していた。同時代、アゲ湾には避難港としてアガトン(Agathon)が設けられていた。古代ローマはアガトンの港をポルトゥス・アガトニス(Portus Agathonis)とし、ユリア・アウグスタ街道に接続した。この道はガリア・チサルピナのフォルムであるユリイ(Julii、現在のフレジュス)まで通じていた。サン=ラファエルの場所はヴィッラで占められた。水道橋の遺構、浴場跡が見つかっている。

10世紀、異民族がこの地域に侵攻し略奪を働いた。聖オノラ・ダルルはサント=ボームの洞窟から出て、レラン島にレラン修道院を建てた。972年、プロヴァンス伯ギヨーム1世がサラセン人を退けた。現在のコミューンの領域をレラン修道院とマルセイユのサン=ヴィクトル修道院が手にいれ、村に大天使ラファエルに捧げた要塞状教会を建てた。

村は5世紀以来フレジュス司教座に属した。12世紀、プロヴァンス伯とトゥールーズ伯、そしてバルセロナ伯の連続する抗争で、テンプル騎士団は村の所有権をとることができた。1312年に騎士団が解体されるまで、村はイエールグラースのようなコマンダリーとなった。テンプル騎士団の消滅後は、聖ヨハネ騎士団に権利が移った。1347年、黒死病の流行でプロヴァンスは荒廃し、人口の1/3以上が失われた。16世紀、プロヴァンスの海岸は海賊とカール5世の軍に襲われた。この対策として、フレジュス司教区は1562年にアルモンの頂に監視塔をつくることにした[2]。1635年、アゲ湾の岬に星型のアルモン塔が建てられた。1690年、住民は大天使ラファエルのとりなしを願って紋章に絵姿を加えた。18世紀の村の経済は漁業資源に頼っていた。港近くの地区がマリーヌ地区として発展した。

1794年、信仰に根ざした地名を嫌った革命政府は、サン=ラファエルをポール・バラスにちなんでバラストン(Barraston)と改名させた。

1863年、マルセイユからヴェンティミーリアまでの区間を走る路線が敷かれ、サン=ラファエル-ヴァレスキュール駅が開業した。小説家でジャーナリストのアルフォンス・カーはたびたびサン=ラファエルを訪れ、まちの観光活動の後押しをした。1864年に亡くなるまでサン=ラファエルに住んだカーの後、ヴィクトル・ユーゴージョルジュ・サンドテオフィル・ゴーティエといった文人たち、ジョルジュ・クレマンソージョゼフ・ガリエニ、ベルギー王アルベール1世といった政治家たちが続けて訪問した。作曲家シャルル・グノーは、サン=ラファエルで1867年にオペラ『ロミオとジュリエット』を、1885年に『アヴェ・マリア』を書き上げた。

1881年にグラン・カジノ建設、1882年にプロテスタント教会建設、1887年にノートルダム・ド・ラ・ヴィクトワール教会が建設され、成長が続いた。2つの大戦の間もセレブレティの訪問は続き、F・スコット・フィッツジェラルドは『夜はやさし』を書いた。

自由地帯にあったサン=ラファエルは、第二次世界大戦初期には影響を受けなかった。1940年に8月、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは姉とアゲ湾を訪れ滞在した。1944年7月31日、バスティア・ポレッタ空港を飛び立ったサン=テグジュペリの飛行機は、姉の住むシャトー近くを飛んだあと、行方不明となった。ドラグーン作戦が始まると、サン=ラファエルも空爆を受け、水道橋が破壊された。

コミューンの観光ブームは、国道7号線の開通、1961年のA8道路開通、2001年のTGV開通で続いた。2004年にドラグーン作戦60周年記念式典が開かれ、2007年にはフランス全国水泳選手権が開催された。

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
13425 17844 21080 24118 26616 30233 33804

参照元:1968年以降Insee[3] · [4] · [5]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]