サハナ・プラダン

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サハナ・プラダンネパール語: साहना प्रधान: Sahana Pradhan1932年 - )はネパール政治家。元外務大臣女性ネパール統一共産党からコイララ内閣に入閣。常任委員会委員。ネパール制憲議会議員(比例代表区)。冷静沈着で知られる。

カトマンズネワール族出身。幼少時をビルマ(ミャンマー)で過す。

ネパール共産党の初代総書記であったプシュパ・ラル・シュレスタと結婚。1978年に夫が死亡すると彼女自身がネパール共産党プシュパラル派毛沢東思想の影響を受けていた)を指導。より穏健な方向に導く。1987年プシュパラル派はマンモハン派(マン・モハン・アディカリが党首)と合同、ネパール共産党マルクス主義派を創設する。

1990年の民主化運動(ジャナ・アンドラン)のときにはネパール共産党マルクス主義派を代表して共産党系の政党の共闘組織「統一左翼戦線」に参加、議長に就任するが。運動が本格化する前に逮捕されてしまう。最終段階で釈放され、政党代表の一人として政府との交渉を行い、パンチャヤット制の廃止を強く訴える。[1]

1991年ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(統一共産党)の結成に参加。1998年、統一共産党を離脱、ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(CPN-ML)議長。2002年、マルクス・レーニン派は統一共産党に復帰。2003年、党中央委員に復帰。

2007年外相として来日、高村正彦外相と会談。日本の国連常任理事国入りを支持した。[2] 2008年4月10日制憲議会選挙では比例代表区名簿順位2位で当選している。

ネパール共産党毛沢東主義派などから初代大統領に推す声があったが、統一共産党がマダブ・クマル・ネパール元総書記に固執したため、実現しなかった。

脚注[編集]

  1. ^ 小倉清子「王国を揺るがした60日」亜紀書房
  2. ^ 外務省、高村・プラダン会談

外部リンク[編集]

Sahana Pradan