サッカーイギリス代表
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| 国または地域 | ||||
| 協会 | なし | |||
| 愛称 | なし | |||
| 監督 | 空席 | |||
| 最多出場選手 | ビリー・リッデル スタンリー・マシューズ(2試合) |
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| 最多得点選手 | ウィルフ・マニオン トミー・ロートン(2得点) |
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| 初の国際試合 | ||||
(グラスゴー、1947年5月10日) |
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| 最大差勝利試合 | ||||
(グラスゴー、1947年5月10日) |
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| 最大差敗戦試合 | ||||
(ベルファスト、1955年8月13日) |
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サッカーイギリス代表(英: United Kingdom national football team)は現在存在せず、イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズを代表する別々のチームとしてFIFAワールドカップやUEFA欧州選手権、その他の国際大会に参加している。イギリス代表は親善試合を行ったことがあるが、FIFA主催の国際大会への出場はこれまでない。イギリスは、夏季オリンピックのサッカー競技にグレートブリテン及び北アイルランドオリンピック代表チームとして出場している。
目次 |
[編集] 背景
世界初のフットボール協会であるザ・フットボール・アソシエーション (FA) が1863年に結成された時、その地理的権限の範囲は明確でなかった。イングランドのみを対象とするのかイギリス全土か、あるいは全世界なのか。この疑問は1873年にスコティッシュ・フットボール・アソシエーション (SFA) が設立された時に解決された。世界で3番目のフットボール協会は1876年設立のフットボール・アソシエーション・オブ・ウェールズ、4番目は1880年設立のアイリッシュ・フットボール・アソシエーション (IFA) である。
ゆえに、フットボールはイギリスのカントリーそれぞれの協会とナショナルチームで発展し、「イギリスサッカー協会」は結成されることはなかった。世界初の国際試合は、サッカーが世界中に広まる前、1872年にイングランドとスコットランドの間で行われた。ホーム・ネイションズの各協会はアマチュア選手への支払い関する論争によって1920年にFIFAを脱退し1946年まで復帰しなかったため、各代表は1950 FIFAワールドカップまでワールドカップに参加しなかった。
イングランドは1966 ワールドカップに優勝するなど、国際舞台で唯一成功を収めている。スコットランドはワールドカップ本大会に8度、欧州選手権本大会に2度出場しているにもかかわらず、これらの国際大会でグループステージを突破したことがない。北アイルランドは1986年大会、ウェールズは1958年大会以降は本大会に進んでいない。これらのことから単一のイギリス代表の結成が望ましいとの主張が上がることがある。反対論者はホーム・ネイションズのファンの現在のフットボールに関するアイデンティティーをよりよい成績を収めるためだけに犠牲にすべきではないと出張している。
常設のイギリス代表の結成に対する支援はこれまで限られていた。事実上仮定に基づいた事柄ではあるが、ジャック・ストロー[1]やトニー・バンクス[2]などの著名な大臣からこのような提案がされたこともあった。
[編集] 試合
| 過去2試合で着用されたキット: • スコットランドブルー(1947年) • 北アイルランドグリーン (1955年) |
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こうした事情にもかかわらず、ホーム・ネイションズは過去に二度単一のチームを結成し「Rest of Europe(残りのヨーロッパ)」と国際親善試合を行ったことがある。どちらの場合にも、選手はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの全4協会から集められた。北アイルランドが参加しているにもかかわらず、どちらの試合も「グレートブリテン」という名前の下で行われた。
- 1947年5月10日、ハムデン・パーク(グラスゴー): グレートブリテン 6–1 Rest of Europe
- 1955年8月13日、ウィンザー・パーク(ベルファスト): グレートブリテン 1–4 Rest of Europe[3]
[編集] 1947年: 世紀の試合
「世紀の試合」と称される1947年の試合は、1920年に脱退していたホーム・ネイションズのFIFAへの復帰を祝うために行われた[4]。スコットランドのハムデン・パークで行われた試合には135,000人の観客が詰め掛け、グレートブリテンチームはホスト協会に敬意を表してネイヴィーブルーのユニフォームを着用した。総計35,000ポンドの入場料収入は、第二次世界大戦中の大会中止により打撃を受けていたFIFAの財政の強化を助けた[4]。
グレートブリテンチームの選手:
フランク・スウィフト(イングランド)、ジョージ・ハードウィック(イングランド)、ビリー・ヒューズ(ウェールズ)、アーチー・マッコーリー(スコットランド)、ジャキー・ヴァーノン(アイルランド)、ロン・バージェス(ウェールズ)、スタンリー・マシューズ(イングランド)、ウィルフ・マニオン(イングランド)、トミー・ロートン(イングランド)、ビリー・スティール(スコットランド)、ビリー・リッデル(スコットランド)[5]
ゴール: UK 1-0 ROE, マニオン 22分; 1-1 ノルダール 24分; 2-1 マニオン 33分 PK; 3-1 スティール 35分; 4-1 ロートン 37分; 5-1 パロラ 74分 o.g.; 6-1 ロートン 82 分[6]
[編集] 1955年: アイリッシュFA75周年
1955年の試合はアイリッシュ・フットボール・アソシエーションの75周年を祝うために行われた。このような理由のため、試合はベルファストのウィンザー・パークで開催され、イギリスチームは北アイルランドの緑のユニフォームを身に付けた。
グレートブリテンチームの選手:
ジャック・ケルシー(ウェールズ)、ピーター・シレット(イングランド)、ジョー・マクドナルド(スコットランド)、ダニー・ブランチフラワー(北アイルランド)、ジョン・チャールズ(ウェールズ)、バーティー・ピーコック(北アイルランド)、スタンリー・マシューズ(イングランド)、ボビー・ジョンストン(スコットランド)、ロイ・ベントリー(イングランド)、ジミー・マクロイ(北アイルランド)、ビリー・リッデル(スコットランド)[3]
[編集] その他の試合
その他2試合が、ウェールズ代表と残りのイギリス(イングランド、スコットランド、北アイルランド)の代表チームとの間で行われた。一試合目は、1951年に、ウェールズサッカー協会の75周年を記念して行われた。二試合目は、1969年、プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)の戴冠を記念して行われた。どちらの場合も、イングランド、スコットランド、北アイルランド選抜チームは「Rest of the United Kingdom」の名前で戦った。
- 1951年12月3日、ニニアン・パーク(カーディフ): ウェールズ 3–2 Rest of the United Kingdom
- 1969年7月21日、ニニアン・パーク(カーディフ): ウェールズ 0–1 Rest of the United Kingdom[3]
また、1973年にもイギリス、アイルランド、デンマークの欧州経済共同体 (EEC) への加盟を記念した試合がウェンブリーで開催された[7]。"The Three" 対 "The Six" と呼ばれたこの試合は、上記の3カ国からの選抜チームとEECの創立メンバーである西ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランス、イタリアの6カ国からの選抜チームによって行われた[7] 。"The Three"の13人の選手のうち10人はイギリス人で、ジョニー・ジャイルズと2人のデンマーク人のみが他国からの選抜選手だった[7]。ヘニング・ジェンセンとコリン・スタインがゴールを挙げ、The Threeが2対0で勝利した[7]。
1965年、現役サッカー選手として初めて(そして唯一)ナイトの爵位を授与されたスタンリー・マシューズを称えるためグレートブリテンチームとRest of Europeチームによる表彰試合が行われた。ヨーロッパが6-4で勝利した。
[編集] オリンピック代表
詳細は「オリンピックサッカーグレートブリテン及び北アイルランド代表」を参照
| オリンピック | ||
|---|---|---|
| サッカー | ||
| 金 | 1900 | サッカー |
| 金 | 1908 | サッカー |
| 金 | 1912 | サッカー |
1900年パリ大会(初めてサッカーが行われた大会)ではサッカーイギリス代表チームのアップトンパークFCが優勝。その後1908年ロンドン大会、1912年ストックホルム大会と3個の金メダルを獲得したものの、各協会間の確執が大きく、1972年のミュンヘン大会からは代表チームを組むこともできていない。
自国開催となる2012年ロンドン大会(男子はU-23、女子はフル代表)で統一チーム結成が検討されたものの、スコットランドが反対し、交渉が難航していた。一旦は統一チーム結成は断念し、イングランド単独で代表を組むことになっていた。しかし、BOAを中心として調整をした結果、統一チームの結成で合意した[8][9]。
[編集] オリンピックの成績
- 1900 - 金メダル
- 1904 - 不参加
- 1908 - 金メダル(開催国)
- 1912 - 金メダル
- 1920 - 1回戦敗退
- 1924 - 棄権
- 1928 - 棄権
- 1936 - 2回戦敗退(ベスト8)
- 1948 - 4位(開催国)
- 1952 - 1回戦敗退
- 1956 - 2回戦敗退(ベスト8)
- 1960 - グループリーグ敗退
- 1964 - 予選敗退
- 1968 - 予選敗退
- 1972 - 予選敗退
- 1976 - 2008 - 不参加
- 2012 - (開催国)
[編集] ユニバーシアード代表
ユニバーシアードにおいて、イギリス代表は1991年夏季大会で銅メダル、2011年夏季大会で銀メダルを獲得している。
[編集] 脚注
- ^ Travis, Alan (2000年12月29日). “Red card for Straw's 'British team' idea”. The Guardian 2011年12月26日閲覧。
- ^ McLaughlin, Martyn (2008年8月26日). “GB united or an own goal that will split UK?”. The Scotsman. 2011年11月26日閲覧。
- ^ a b c “England Player Honours - International Representative Teams”. England Football Online (2005年2月14日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ a b “The four British associations return to FIFA after the Second World War: 25th FIFA Congress in Luxembourg in 1946”. FIFA. 2011年11月26日閲覧。
- ^ Norman, Giller (2004). Football And All That. London: Hodder & Stoughton. pp. 115–116. ISBN 0-340-83589-3.
- ^ “Great Britain V Rest of Europe Hampden Park 1947”. England Fanzine.co.uk 2011年11月26日閲覧。
- ^ a b c d “NOW YOU KNOW: Silky Celtic gave Leeds a Hampden masterclass..”. Evening Times (2010年2月12日). 2011年11月26日閲覧。
- ^ “Team GB decision reached”. フットボール・アソシエーション (2011年6月21日). 2011年9月13日閲覧。
- ^ “Team GB Olympic football deal angers nations”. BBCスポーツ (2011年6月21日). 2011年9月13日閲覧。
[編集] 関連項目